News 2026.05.29
6/27(土)第16回Jaja’s Book Club『小僧の神様』読書会 開催
佐鳴湖近くの小さな図書館
BLOG

新書『善人ほど悪い奴はいない』(中島義道)

新書『善人ほど悪い奴はいない』(中島義道)

【ある善人Tの話】

私の感覚では、善人は悪い奴」というより、「ズルい奴」という方が当たっている。

前職の後輩に皆から好い人、優しくて親切な人と評される男がいた。私は若い頃──あれはたしか三〇前後の頃、その男Tとコンビを組んで仕事をしていた時期がある。

当時Tは、我々二人が抱える仕事の雑務という雑務をすべて担ってくれた。それらは知識やノウハウは要らないが、でもやらなければならない細々とした面倒なことだったので、私にとっては彼の存在がとても有難かった。いや、それだけじゃない。途中妻を亡くした私はプライベートでもTには大変世話になった。

その後私は別の部署に異動になったためTとのコンビは解消されたが、プライベートでの付き合いは続いた。仕事場でたまに聞こえてくる彼の噂は相変わらず「好い人」だったし、私生活での彼もずっと好い奴だった。

さらに時は流れ流れて私も相応に歳を取り、人事に口をはさめる立場になっていた。その頃の私は、受注した超大型プロジェクトのやりくりに手を焼いており、私を補佐してくれるサブリーダーが必要だった。そこで、Tはどうかと思い、そのときの彼の上司に直近の評判を聞くとすこぶる良かった。私は迷わずTを異動させることにした。

しかし、およそ20年ぶりに一緒に仕事をすると、Tは昔と変わらずただ雑用をこなすだけの男だった。たしかに好い人ではある。五〇近いオッサンが若い者の雑用まで進んでやるのだから。誰も彼を悪く言わない。だが私がTに与えたタスクは仕事を組み立て、それを部下を使ってマネジメントしていくことであって、もちろん雑用係ではない。

そして、よく観察すると彼は若手の中でも優秀で声のでかい者の雑用を媚びるように引き受けていることに気付いた。

そうか、と私は思った。Tはその後の20年、こうして生きてきたのだろう。自分が弱者であること(私が与えたタスクを遂行できる能力がないこと)を彼は知っている。そして、その弱さはときに強者(往々にして声のでかい奴だ)から標的にされることも分かっている。

冒頭で善人はズルいと言ったのは、Tが弱さを克服するために仕事の知識やノウハウを身に付ける努力をするのではなく、ひたすら雑用で恩を売って強者を味方とすることに徹していたからである。もちろん、それを計算して行っているつもりはないだろう。無意識に行っているのが、善人の善人たる所以だ。

本書にはニーチェの言葉をもとにこうある。

「弱者は攻撃する『前足』が弱いがゆえにこっそり『善良』と裏で手を結ぶ」

それでも「ズルい」というのは言い過ぎかもしれない。雑用だって誰かがやらなければならない。歳がいっているのにそれを進んでやるなんて、何もしない中高年よりよっぽどましではないかと──。

だが何もしない中高年は自ずとそれに応じた評価を受け、相応に処遇される。ところが彼は違う。生産性には雑用係程度の寄与でありながら善人に徹することで、それまで不相応に高い評価を得ていたのだ。

私はTを雑用係に応じた評価をし、一年で元の部署にお引き取り頂いた。若い頃辛苦を共にし、プライベートでも散々世話になった彼に対し、そうせざるを得なかったのは辛かった。もちろん、Tが善人、好い人であることに何の異論もない。

PAGE TOP