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雑誌「月刊MdN 2017年3月号(特集:大相撲の美—デザイン視点で相撲を知る)」(MdN編集部)

雑誌「月刊MdN 2017年3月号(特集:大相撲の美—デザイン視点で相撲を知る)」(MdN編集部)

【大相撲は高級ディナーのように本能を満たす】

本能に基づく行為というのは、どこかみっともない――、そう思いませんか。多くは他人に見せるものではないし、他人のそれを見るものでもないような気がします。三大本能と言えば食欲、性欲、睡眠欲ですが、セックスはその最たるものでしょうし、涎を垂らして爆睡した姿も他人には見せない方が良いでしょう。また食事という行為も、そのマナーが発達したのは、マナーなしでは他人に見せられたものではないからではないでしょうか。

三大本能ではありませんが「戦う」、「格闘する」という行為も野性の本能に近いように思います。原始の社会ならいざ知らず、知性の発達した現代でイイ大人が殴り合いや取っ組み合いの喧嘩などしていたらみっともないことこの上ないのです。

したがって、格闘技も格闘する技術として人に見せられるようにしたのは、食事のマナーと同じようにルール(制約)を設けたことが大きいのだと思います。総合格闘技(私自身も少し齧った時期がある)などのように、その制約を極めて少なくしたものもありますが、当然のことながらどうしても殺伐とします。それは本来他人に見せるべきではない野生の姿だからです。

そうした中でボクシングは極めて制約が多い格闘技です。しかし、それでも実際の試合をリングサイドで観ると、殴り合う生の音(かなり大きい!)が聞こえてきたり、時に血や汗も飛んできたりして、野生の本能に触れることになります。

「わたし、もう帰りたいわ……」

「どうしたの?」

「なんだか気分が悪くなっちゃったの。ごめんね」

以前、仕事の関係でもらったチケットでボクシングの試合を前から2列目の席で観ていたときのことでした。帰る道すがら彼女は青ざめた顔で呟きました。

「なんで憎くもない相手をあんなに殴れるのかしら――」

その夜は後味の悪いものになりましたが、私はむしろ彼女がそういうコで好かったと思ったものでした。

昔、K-1という格闘技をTVで放映した際に放送席で藤原紀香が、リング上の大男がKOされるたびに大袈裟な嬌声を上げていました。あれなどはハプニングバーで他人のセックスを見て興奮しているのと同じで甚だ悪趣味に思えました(あくまでも個人の意見です)。プロレスのようなエンターテイメントであれば別ですが、真剣勝負の格闘技――つまり野生の本能――に興奮して嬌声を上げるのは自らのむき出しの本能も晒しているようで、たぶんに露悪的です(重ねて申し上げますが、個人的な意見なので悪しからず)。

その点、大相撲は真剣勝負の格闘技でありながら、淑女の観戦にも耐えられるようになっています。もちろん、殴ったり蹴ったりしてはいけないとする禁じ手の存在も大きいのですが、百数十㌔の巨漢同士が頭でぶつかればすごい衝撃ですし、張り手やかち上げなどの打撃技(?)もあったりするので、出血や脳震盪などもままあります。

しかし、そうした殺伐さを本書にある相撲特有の様式美がオブラートのようにくるんで見せます。それでいて、寝技こそないけれど格闘技のエッセンスも存分に詰まっていて、本能を高級ディナーのように上品に満たしてくれるのです。

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