小説『九年前の祈り』(小野正嗣)
【不安のない人間はいない】
「生きる」ということ、「生きていく」ということは不安である。そのことを改めて思い起こされた小説だ。
不安とは、安からずと書く。安定しないさま、つまりは心の安寧が得られない状態という意味だろう。不安症という病気もあるそうだが、程度の差こそあれ、不安を抱えていない人など本来いないのではないかと思う。
健康のことであったり、仕事のことであったり、おカネのことであったり……、実態を伴わない漠然とした不安かもしれない。
そんなものとは一切無縁と思える人もいる。しかし、そういう人であっても、忘れているだけか、考えないようにしているだけか、はたまた虚勢を張っているだけなのではないかと思う。
あるいは未だ顕在化していないだけかもしれない。私もかつてそうだった。仕事にも馴れ、妻と結婚し、二人の子供に恵まれて幸せの絶頂だった頃──、この幸せが永遠に続くと思っていた。周囲の人からも不安など何もないように見えたことだろう。
だが今から思えば、あの頃もこれがいつまで続くだろうかと漠然と思うことはあったのだ。ただその不安を裏付けるものは何もなかったので、深く考えなかっただけだ。
しかし、その根拠なき不安は的中する。妻の病気、そして死というかたちで現実になった。その後、子供たちを一人で育てる間、私はいつも不安だった。また何か悪いことが起こるのではないか──その不安が具現化することにいつも怯えていたように思う。忙しい毎日を過ごすことで、考えないようにしていたから、傍からはそうは見えなかったかもしれないが…。
だから、この小説の主人公さなえ──外国人の夫と別れ、障碍のある息子の希敏(けびん)を抱えて故郷に戻った──の気持ちはよくわかる。希敏が「引きちぎられたミミズのようにのたうち回る」のは、母さなえの不安を映す鏡のように思える。さなえやみっちゃん姉たちは、そうした不安を打ち消すようにひたすら祈った。
一方、私はそうしたスピリチュアルな行為を一切排して、科学的な合理主義に徹した。だが、根っこにあるものは一緒なのだと思う。

