映画『窓辺にて』(主演 稲垣吾郎)
【離婚届の行方】
本作は妻の浮気を知っても、そのことにショックを受けない自分にショックを受けている男の話である。妻のことが嫌いだからではない。むしろ今でも大好きなのだ。かと言って、痛みがあまりに強すぎて無感覚になる、というのとも違う。
男は若い頃に一作だけ、去って行った女性に纏わる小説を書いて、以来書くのを止めてしまったようだが、そのことと関係しているのだろうか。物語の終盤で、作家で妻の不倫相手から「書いてしまうと過去になってしまうから。書かないことが奥さんへの最高の愛情表現だ」と言われる。だが仮にそうだとしても、それは妻を愛していることの説明にはなっても、彼女の不貞にショックを受けない理由にはならない。そのことについては結局、映画が終わっても判然としなかった。
ただ、劇中の一つのシーンはヒントになるかもしれない。それは、男がその悩みを相談できる相手がいないことについて、とある人物から「他人を見下しているからだ」と指摘されるシーンである。
そうかもしれないと思う私と、そうだろうかと言いたい私がいる。それはたぶん表裏一体なのだろう。前者の自分は「他人には分からないだろう」とどこか上から見ているし、後者は「中高生じゃあるまいし、大の大人が他人になど頼れない」と思う自分だ。いずれの私も他人には期待できないことを経験的に知っている。
幾ら言葉を尽くして説明したところで、他人がどこまで真剣に考えてくれるか分からないではないか。仮に考えてくれたところで、自分の(悩みの)すべてを説明することなど不可能なのだ。それは自分の出自に関係しているかもしれないし、育った環境に左右されているかもしれない。過去の挫折やトラウマの影響だってあるだろう。
要するにそんな私のすべては私自身にすら分からないのに、他人に分かりようがないのだ。つまりはそういうことだ。
さて、彼らはあの離婚届を役所に提出しただろうか。私はしていないと思う。そう思いたい。不貞を知ってもなお、妻を愛しているのは間違いないのだから。
画像引用元 TVer テアトルシネマグループ


