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小説『あちらにいる鬼』(井上荒野)

小説『あちらにいる鬼』(井上荒野)

【リスペクトし合う二人の女】

一人の男をめぐる二人の女──一人が正妻、いま一人は不倫相手──の物語である。その二人が50年あまりの長きにわたり、それぞれの立場で同時進行しながら交互に一人の男について記していく。

男としては何とも羨ましい限りの話だが(それについて書くのは別の機会に譲るとして)、本稿の主題は女性の気持ちは分からない、ということである。

だって、そうだろう。この二人の女性はいがみ合うのではなく、互いを認め合うのだから。

羨ましい男・白木は、名だたる文学賞の受賞歴はないものの、そこそこ名の売れた小説家のようだ。その白木に同業の長内みはるは、あるとき講演旅行で一緒になったのをきっかけに惹かれていく。

白木は妻子持ちでありながら旅先など夜、一人で寝られないという性質で、みはる以外にも常に複数の女性と関係を持つ。

白木の妻・笙子は、そうした白木に概して鷹揚であるが、みはるに対しては殊更寛容である。

後に、白木との関係に疲れたみはるは出家するが、寂光と名乗ってからの彼女を笙子はリスペクトすらしているように見える。

それはみはる、すなわち後年の寂光も同様で、特に白木が癌で死んだあとの二十年は、戦友であるかのようだ。その連帯感はどこから来るのか。

──分からない。そんなことがあり得るだろうか。どうしたらそんな心境になれるのだろう。だが、無理もない。私はありがちにいがみ合うようなフツーの女性の気持ちすら、普段ほとんど理解できないのだから。

もっとも、女性だから、ということでもないのだろう。異性に限らず、同性のことだって、よく考えてみると私は理解しているとは言い難い。異性の場合は、セックスが介在するから余計執着して、その分からなさがクローズアップされるに過ぎない(その証拠に異性との別れは修羅場になり易いが、同性とのそれはいつの間にか疎遠になるケースが多い)。要するに他人のことは、異性だろうが同性だろうが分からないのだ。

いや、他人のこととも限らない。自分のことだって、分からない。私など自分が一番信用できないのだから。このみはる(寂光)にしろ、笙子にしろ、後年自分たちがリスペクトし合うことなど、若き日の彼女たちはとても信じられないに違いないのだ。

この物語は、小説家・井上光晴の妻と井上の不倫相手・瀬戸内寂聴の実録のようにみえる。だが、とどのつまり他人も自分も分からないという人間の本質こそが、この読み物を小説として成り立たせている。

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