映画『敵』(主演 長塚京三)
【それが攻めてくる前に】
この男は私である。歳は幾つくらいだろうか。大学教授を早めに辞めて10年というからおそらく私と五歳も違わない。
妻に先立たれて久しいようだ。キャリアを生かした仕事──仏文学に関わる執筆や講演──を細々と続けているが、そろそろ賞味期限は過ぎつつある。その辺りも(専門は違うが)私と同じである。気が付けば世界は、自分など居なくても回っている。
預貯金残高からあと何年何日生きられるかのXデイを計算する。そうすることで生活にハリが出ると考えている。流石に私はその計算はしていないが、潔い終わり方を目指すのは同じである。
「健康診断は人を健康にしない」との考えから、長らく受けていないという点も共通する。だが、ひとたび身体に異変が起これば、医者嫌いの私でも医者に駆け付けるのだろう。それもこの男と同じだ。
さて、気になるのはタイトルにもなっている「敵」である。敵とは何か? それは北の方から攻めてくると言う。もちろんメタファーだ。この男にとっての敵とは「老い」そのものなのだろう。もっと端的に言えば、「老醜」であろう。
老いて醜くなるのが怖いのだ。老いて臭くなるのが嫌なのだ。だからせっせと石鹸で体を洗い、糸ようじで歯を綺麗にする。外見だけじゃない。内面も──未だに性に対する執着を捨てきれずにいるが、それを他人に悟られるのは恥と考える。老いてなお洗練された知識人でありたいと願うのだ。
いや、この男や私だけではあるまい。全ての高齢者は身に覚えがあるはずだ。高齢者にとっての脅威は何より老醜だから。それで晩節を汚すことだから。世の中、老醜を晒す輩が溢れているではないか、テレビにも、ネットにも。
だから、この男はそれが訪れる前に自ら死のうとする。だが、出来ない。おそらく私も出来はしないだろう。
終盤は現実と非現実が入り混じる。それは、眠りの浅い──睡眠と覚醒の境界を行きつ戻りつする──高齢者特有の夢そのものである。認知症の初期症状かもしれない。あるいは、劇中の下血の原因が大腸癌で、その末期に見られる意識混濁だろうか。
いずれにしろ、この男は敵に攻められる前に首尾よく死ねたようだ。羨ましい限りである。

画像引用元 MOVIE WALKER PRESS 映画『敵』オフィシャルサイト

