小説『Nのために』(湊かなえ)
【小説は現実世界を超えるか】
実はこれを原作とするドラマを先に観た。最終回まで観たのだから、それなりに面白かったのだと思う(榮倉奈々が好きだというのも大きいv)。だが、話の設定に違和感を覚えたことが二つあった。
その辺りについて原作ではどのように書かれているのだろうと、この本を手に取ったわけである。
ドラマで感じた違和の一つは、榮倉奈々が務めた主人公・杉下希美の父親が、ある日突然「ほかの女と一緒に暮らすから、お前らはここから出て行け」と希美ら妻子を自宅の豪邸から追い出すシーンである。前日まで一家団欒を満喫しているかのように見えた父親が一日にしてああも変われるものか、と思ったのだ。
外に女を作って妻子と別居する男は珍しくない。だがそうした場合、自分が自宅から出ていくのが普通だ。ところが、この父親は自分が自宅に居座った。百歩譲って、妻だけを追い出すのならあり得るかもしれない。だが、血肉を分けた自分の子供まで追い出すだろうか。
もちろん妻や子を心から憎んでいたのであれば、そうするケースもなくはないだろうが、であれば前日まで一家団欒を装うことなどできないはずだ。
これについては、原作でもほぼ同じ設定だった。ただ、原作では父親の浮気の兆候を妻子が見逃していたということになっているし、また文字情報だけで視覚的要素がないことから、いくぶん希釈されているようにも思える。
ドラマのもう一つの違和感は(ネタバレになって恐縮だが)、物語の後半に登場するとある夫婦が死ぬシーンである。夫の野口貴弘から日常的にDVを受けていた妻・奈央子はクライマックスで、貴弘を燭台で撲殺した後、包丁を自らの腹に刺し自殺する。DV加害者の貴弘を殺すのは分かるが、自殺する意味が分からないと思ったのである。
これについては、原作では相応に筋が通るカラクリになっていた。簡単に言えば、奈央子がその暴力を愛だと思い込んでいたからである。希美に貴弘を取られると勘違いして、そうなる前に夫を殺して自らも死ぬことで、永遠の愛に昇華しようとしたのだ。
いずれ狂気には違いない。だが原作では途中、こんなくだりがある。
「現実世界では(中略)暴力の理由が愛であっても罪は罪。愚かな行為と蔑まれ、罵られ、存在していた愛すらも否定されてしまう。だが、文学の世界では、これらは真の愛と評価される」
視覚的要素の強いドラマでは現実世界に照らして違和感があっても、小説という文学の形を取れば、こうして曲りなりにも納得のいく話にできるようだ。

