News 2026.10.02
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小説『スプートニクの恋人』(村上春樹)

小説『スプートニクの恋人』(村上春樹)

【記号と象徴の違い(その2)】

前回に引き続き、本作について書いてみたい。本作についてと言うか、村上作品全般についてかもしれない。

村上春樹の小説は私も短編、長編を問わず、たぶん全部読んでいると思う。新刊が出れば、発売日その日のうちにというわけではないにしろ、比較的早い段階で購入して読んでしまう。

だが、私は自らをハルキストなどと称するつもりはないし、作者をハルキなどと呼ぶことも決してない(これまでも、これからも)。

なんとなれば、私は彼のキザな文章──音楽や嗜好品に関する知識がちりばめられた──が所謂「勝ち組」の話のように思えて抵抗があるし、現実とは懸け離れた設定にも馴染めない。そしてなにより、それぞれの小説の主人公(多くの場合、「ぼく」)がいけ好かないからだ。皆が皆ではないにしろ…。

彼らの何が私の神経を逆なでるのだろう? 私のその気持ちを代弁してくれた人物がこの小説の中にいた。その人物とは、物語の後半で小学校教師である主人公(例によって「ぼく」)が対峙するスーパーの警備員である。

「ぼく」の担任するクラスの男の子が万引きをして警備員に捕まり、その子を「ぼく」が引き取りに行ったときのことである。警備員はねちねちと講釈を並べ、なかなか解放してくれない。「最後にひとつ」と警備員は「ぼく」を見上げてこう言う(長くなるが、そのまま引用する)。

「先生を見ているとどうも何か釈然としないところがあるんですよ。若くて背が高くて、感じがよくて、きれいに日焼けして、理路整然としている。おっしゃることもいちいちもっともだ。きっと父兄の受けもいいんでしょうね。でもうまく言えないんですがね、最初にお目にかかったときから何かがわたしの胸にひっかかるんです。別に個人的にからんでいるわけじゃないんですよ。だから怒らないで下さいね。ただ気になるんです。いったいなににひっかかるんだろうってね」

おまけに、その男の子の母親と出来ていたりするのだ。

ここを読んだとき、私は愕然とした。作者・村上は私のような一部の読者が「ぼく」に対し、そういう感情を抱くであろうことを分かっているのだ。分っていて、そういう主人公を描いているのだと。

こうした主人公の設定も村上作品の象徴であって、記号ではないと言えるかもしれない。あえて言えば記号はむしろ、あの警備員の胸のひっかかりだろう。あのひっかかりこそが、村上作品を読まずにはいられない記号なのだ。

ここで大事なのは「あの胸のひっかかり」であって、「すべての(あるいは一般的な)胸のひっかかり」ではないってことだ。なぜなら、後者であれば「村上作品=胸のひっかかり」であり、「胸のひっかかり=村上作品」となってしまい、もちろんそんなことはあり得ない。だが、前者であればその関係も成立しうるだろう。

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