小説『カフネ』(阿部暁子)
【全部やめてどこかに行きたくなる】
物語は、年の離れた弟・晴彦の突然死に接した主人公の薫子が晴彦の遺言書に従い、遺産の一部を彼の元カノせつなに渡そうとするがにべもなく断られる、というところから始まる。その後、紆余曲折を経て薫子はせつなの仕事を手伝うようになる。彼女の働く会社カフネが提供する家事代行の無料サービスである。薫子はせつなとペアを組むなかで色んな家族と出会う──。
家事代行の無料サービスを受ける家族は様々である。それぞれの家族にそれぞれの事情がある。とりわけ私が気に留めたのは、とある母子家庭のくだりである。
サービスを受ける際には家主が家に居ることを前提条件としているのだが、その家の母親は急に仕事が入ったからと外出してしまったようだ。小学生の女の子とともに取り残された中学生の少年は予定通りサービスを受けたいと言う。やむなく上がり込むと冷蔵庫にはほとんど食材が入っていない。彼らはネグレクトされているのだろう。おそらく、急な仕事というのも嘘に違いない。
男だ──。母親は男に呼び出されて、そちらを優先して出かけてしまったのだ。本文中にそのような記述があるわけではないが、そう邪推してしまうのは私にも覚えがあるからだ。
もちろん、冷蔵庫を空にするようなことはしなかったし、子供たちが毎日の食事に事欠くようなマネをした覚えもない。運動会や遠足の弁当だって毎年作った。ネグレクトに相当するようなことは一つもなかったはずだ。だが妻を亡くした後の4~5年くらいの間、私も仕事だと偽って子供たちのことより付き合っていた女性を優先したことが何回かあった。
思えば、私の人生で最も異性交遊を重ねた日々だった。当時は毎回真面目に恋愛をしているつもりだったが、たぶん寂しかっただけなのだ。今なら素直に認められる。
だから、この母親の行動原理は手に取るようにわかる。決してネグレクトしているつもりはないはずだ。仕事をして、家事もして、子育てもして、くたくたになりながら、ぽっかりと空いた心だけが埋まらない──。
「……お母さんはいつも忙しくて疲れているし、だったら、たまには全部やめてどこかに行きたくなるし、そんなの、しょうがないだろ……っ」
と少年は涙ながらに言った。
きっと、うちの子供たちも分かっていたのだ。

