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小説「走れメロス」(太宰治)

小説「走れメロス」(太宰治)

【太宰の真意はいかに】

その昔、教科書で読んだはずだが、全く覚えていなかった。こんな話だったっけ? そうか、そうだったような気もする。

今も中学の教科書に載っているそうだが、今の子供たちはこれを読んでどう思うのだろうか。個人主義の蔓延る現代にあっては、とても成立しそうもない話である。いくら無二の親友だとしても、代わりに人質などにならないだろう。

「メロスさあ、お前それを俺に頼むっての?」

「セリちゃん、ごめん。君にしか頼める人いないんだよ」

「いやいやいや、ないっしょ。非常識過ぎるよ、メロス」

21世紀のセリヌンティウスはそう言うに違いない。

とはいえ、自分が一番かわいい、というのは今も昔も、そんなに変わらないのではないか。事実、物語の中でメロスもセリヌンティウスも一度は相手を疑う。80年前の太宰は、そんな風潮を憂い、この物語を書いたのだろうか。

にしても、最後の王様のふるまいはどうだろう。その豹変ぶりが滑稽ですらある。お前、そんなタマじゃないだろ、と突っ込みたくなるのだ。なぜなら、今日の我々はこの暴君ディオニスの論理――人間など私欲の塊だ――で生きているからだ。むしろ、寺山修司が「歩け、メロス」で言うように、過大な信頼をよせて相手に負担を強いるメロスが「無神経な自己中心性・自己陶酔の象徴」だと思えるのである。

してみると、太宰は暴君の滑稽さを持って、友情に期待する向きを笑ったのかもしれない。――うがちすぎかな。無粋ですまヌ。

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