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小説「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」(村上春樹 作)

小説

【僕の影はいつのまに引き剥がされたのだろう】

「苦しくても影のことは忘れろ。そのあとに救い来て悩みはなくなる」。そう門番は言った。

僕に救いなど、何十年も来なかった。救いらしきことが無かった訳じゃない。その都度、これは違うと思いつつ身を委ねたけど、それらはやっぱりあっという間に去って行った。

「救いの機会は与えたぞ」と言わんばかりに。

そんなことがあるたびに、僕の欠落感は大きく、そして深くなって行った。

そこを埋めるべきものは何もない。あるとすれば、ピンクの太った娘の言ったあれしかない。でもそれもいずれ失われるべきものなのだ。僕の存在はあまりに弱く不確かだ。

でも、僕の影はまだ完全に引き剥がされたわけではなさそうだ。だって、僕はまだ彼女のことをこんなにも想っているもの。

「執着するな」。ここでは皆そう言う。

執着するから、絶望や幻滅が生まれ、悲しみが生じるのだと。だけど、それらがあるからこそ、喜びや至福や愛情を感じることができるんだ。愛のない世界なんて、世界の終わりと同じじゃないか。

心を捨てれば安らぎがやってくるという。誰も傷つけないし、誰も傷つかないと。けれど、そんな悟りを開いた仙人のようになる必要なんてないんだ。たとえ誰かの心に寄り添うことができなかったとしてもだ。

 

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