映画「みえない雲」(監督 グレゴール・シュニッツラー)
【目標ばかりでなく……】
環境問題、とりわけ脱炭素問題に関しては、なぜ目標を掲げるばかりなのだろう。国も企業も、何10年も先の目標を掲げては、やれ野心的だ、意欲的だと持て囃されるている。
いや、もちろん目標を掲げることは悪いことではない。なにごとも目標を立てなければ始まらない。だが、目標は達成するために掲げるのであって、掲げるだけでは意味がない。達成するためにはそこに至るまでのロードマップを定め、一歩一歩着実に歩みを進めることが大事だ。とりわけ重要となるのは、ロードマップを構成する個々のマイルストーン達成の手段と時間の管理だろう。
ところが、脱炭素問題に関しては、ロードマップの話はあまり聞かないし、例えば今年は掲げた目標に対して何%達成した、あるいは予定より進んでいる、遅れているなどという話はついぞ聞かない。ひょっとしたら、私が知らないだけかもしれないが、少なくともマスコミ等では触れられたことがないように思う。
それどころか、かつて掲げた目標すらどこかに霧散している。忘れている人も多いと思うが、日本は民主党政権時に、鳩山由紀夫首相(当時)が2020年までに日本の温室効果ガスを「90年比で25%削減」という目標を掲げ、国際公約したはずだ。当時、諸外国から野心的だと評価される一方で、オウンゴールだと冷笑されたようにも記憶している。あれはいったいどこに行ったのか。
ところが、国際社会からも「あれはどうしたのだ?」と非難されている様子もない。相変わらず、各々の国が競い合うように何10年も先の目標を掲げるばかりで、過去に掲げた目標は取り沙汰されないのである。
さて、これは原発事故を扱った2006年のドイツ映画。ひとたび原発で事故が起こればこういう状態になるということは当時既に予想されていたわけで、その可能性を直視していればフクシマは十分に回避可能だったのだろう。
原発など無い方が良いに決まっている。あれだけのことが──映画ではなく実際に──この日本で起こったのだ。にもかかわらず我々は、100年前の生活に戻ることのできない愚か者である。そのことも直視せねばなるまい。もちろん、火力発電所をガンガン造り、高い石油を燃やして、CO2を出し続けるという選択肢もない。
便利で豊かな生活は捨てられないが、CO2も出したくない、かと言って今すぐに再生エネルギーに100%転換も出来ない──というナイナイづくしの中では当面、CO2を出さない原発に頼らざるを得ないのが現実だ。
だからこそ、今必要なのは、掲げた何10年も先の目標に対し個々のマイルストーンを設定し、確実にそれを達成していくことではないだろうか。その中で、原発も無くす道筋を明確にすべきだと思う。
画像引用元 映画.com