漫画「ダーリンは外国人」(小栗左多里)
【もしもピアノと英語ができたなら】
NHKの「駅ピアノ」、「空港ピアノ」、「街角ピアノ」が好きで、撮り溜めしては暇な時に観ている。私もあんなふうに、もしもピアノが弾けたなら(同名タイトルの昔の歌ではないが)、どんなにカッコいいだろうと思ってしまう。
同じように、これができたらもう少し女のコにモテただろうに、と思うことに英会話がある。私とて、大学の教養課程まで入れれば8年間も英語を勉強した身だから、二〇代までは片言の日常会話であれば海外でも通じたのである。新婚旅行では妻から尊敬の眼差しで見られたものだ(たぶん、見られたはずだ。見られたんじゃないかな……)
ところが、三〇代半ばで久しぶりに行った海外旅行ではまったく駄目になっていた。なにしろ、ヒアリングがほとんど出来なくなっていたのだ。以来、英語には苦手意識を持っていて、もはや完全にお手上げ状態なのである。
そんな英語恐怖症の私を何だか安心させてくれるのが、東海道新幹線の車内アナウンスだ。私は平日の仕事の関係で、1~2週間に一度の割合で東京に行くのだが、そのたびに新幹線を利用している。
新幹線では停車駅が近づくと
「まもなく〇〇に停まります。今日も東海道新幹線をご利用くださいまして、ありがとうございました。…(中略)…〇〇を出ますと、次は××に停まります」
という車掌のアナウンスが聞こえてくる。続いて、
「We will soon make a brief stop at 〇〇……」
とアナウンスされるのだが、これが――知っている人も多いと思うが――座席からズッコケるほど棒読みなのだ。まるで、「ウィー・ウィル・メイク・ア・ブリーフ・ストップ・アット・〇〇……」とカタカナを読んでいるかのように聞こえる。一部の車掌がそうなのではない。乗る新幹線、乗る新幹線、ほとんどすべての車掌が頑なに棒読みなのだ。あたかも
「俺たちは絶対に流暢な発音などしないぞ!」
と、JR東海が会社を上げて宣言しているかのようだ。もう見事というしかない。
昔、中学校で初めて英語を習ったときに、流暢に発音したりすると周りから「ヒューヒュー」と囃し立てられたものだが、JR東海の車掌は皆、そのトラウマがあるのではないかとさえ思ってしまう。
あのアナウンスを聞くたびに、これは英語(のつもり)だと外国人には理解できるのだろうかと心配になるが、一方で日本人の英語はあの程度で良いのだと私などはホッとできるのである。
英会話が上達するには、英語を母国語をとする異性と親密になるのが早い、とよく聞く。たしかに、愛を伝えたり、確かめたりするのには豊富なボキャブラリーが必要だから、必死になって覚えるのだろう。また、この漫画の作者のように言葉を通して、互いの文化を理解すれば、生きる世界も広がろうというものだ。
だが、その外国人の異性と親密になるためには英語が必要ではないか、などと思ってしまう。そもそも私は日本語だって、愛をうまく伝えられないのだ。――そんな屁理屈を言っている時点で駄目なのである(自分でも分かっている)。
今からでもピアノと英会話を習えば、世界は広がるだろうか――。
PS:ちなみに、最近の新幹線の車掌アナウンスはだいぶ流暢な英語になっていますv。