書籍「フィデューシャリー・デューティー」(森本紀行)
【顧客に信頼されて寄り添う】
私の前職の会社は建築設計事務所でした。社員の数は200~300人でしたから、組織事務所としてはまあ小さな方です。ちなみに、組織事務所というのは意匠を担当するデザイナーだけでなく、建築設備や構造等のエンジニアも在籍して、大規模な建築物を総合的に設計できる体制が整った事務所というような意味です。
前職の会社は、これに都市計画や土木の専門職も相当数いたので、小さいながらも何でもござれというのが強みではありました。日経アーキテクチュアという専門誌で、顧客満足度ランキング1位に選ばれたこともあります(売上ランキングはベストテンから外れて久しい)。
一方、経営者はというと、某コングロマリットから役員クラスが必ず送られてきました。もちろん、建築や都市計画等の実務は素人同然ですし、じゃあ特に経営センスに優れているかと言えば、必ずしもそうでない人が少なからずいました。
あるとき経営者が変わって、その新任社長は低迷する売上ランキングをもっと上げようと営業部門の強化を声高に叫び出しました。これにより短期的な効果は多少あったかもしれませんが、長期的な大幅売上アップなどあろうはずがありません。むしろ、小粒で割の合わない案件ばかりが増えて社員は疲弊し、多くの優秀な人材が辞めていきました。
この社長の決定的な間違いは、設計事務所が本書でいう「フィデューシャリー」を前提とした専門家集団であるという認識を欠いていたことにあります。フィデューシャリーを前提とした職業といえば、まず医者や弁護士が思いつきます。要するに顧客から信頼されて任される仕事です。これらの仕事に営業は馴染みません。顧客からすれば営業されればされるほど、うさんくさいような印象を持つでしょうし、彼ら自身が営業をした途端にいくらでも取り換えの効くコモディティに成り下がることを本能的に知っているのだと思います。
本書の対象としている資産運用の専門家もそうでしょうし、建築士や技術士を抱える設計事務所も同じだと思います。コモディティとなれば価格競争に巻き込まれ、結果として薄利多売が必然となります。
そうならないように、やはり設計事務所の仕事は医者や弁護士等と同じように、顧客から信頼されて寄り添い、顧客満足度を高めるものだという認識が不可欠です。売上アップに必要なのは巧みな営業力ではなく、顧客満足度のさらなる充実だったのです。そして、そのためには徹底した実務者能力――プロフェッショナルな仕事を遂行できる人材――の確保が重要なのです。
そのようなフィデューシャリー志向は、資産運用業や設計事務所等に限らず、多くの業態で求められている――たとえば私の運営する私設図書館でも応用可能である――と感じます。そして、それは「安いニッポン」を打破して、我が国の経済成長を牽引する力となりうると思いましたが、飛躍し過ぎでしょうか。