映画『愛を耕すひと』(主演 マッツ・ミケルセン)
【夢は見ている間が幸せ】
何かに挑戦する人を邪魔しようとする者をドリームキラーと言うのだそうだ。もちろんこの映画に出てきた領主のように悪意のあるドリームキラーもいるが、善意の場合も少なくない。
前職であるとき、隣の部署の若手Uが私のところに、首都圏某地区の開発可能性について相談に来た。将来を嘱望されていたUは当時、私と他のプロジェクトで連携していたので、私に意見を求めたのだろう。
彼が示した資料を見ると、それは某私鉄駅前のまとまった規模の土地で、以前に私も開発の可能性を検討したことがある案件だった。資料を一瞥して
「ここか…。ここは開発できないよ」
と私は言った。
「立地から当然、大規模商業の開発だろ? だとすると、ここに至るルート上のこの交差点がボトルネックになって交通処理ができないんだよ」と、問題の交差点を指差し説明すると、Uの表情は見る見るうちに変わった。
「どうしてうちの会社の上の人は、若い者のやる気を削ぐようなことしか言わないんですか!」と彼は激昂して席を立った。
彼にとって、あのときの私はたしかにドリームキラーだったかもしれない。あくまでも善意のつもりだったし、「不可能だという者は実行する者の邪魔をしてはならない」という格言に従い、彼の行く手を阻むつもりも毛頭なかったのだが…。
映画は18世紀のデンマーク。国土の3分の1を覆う不毛の土地の開拓に乗り出した退役軍人ケーレンの物語である。誰もが不可能だと信じてやまない荒地の開拓は、ただでさえ幾多の困難が彼を待ち受けるなか、一番厄介なのが冒頭で触れた領主の悪意ある横やりだった。
それでもケーレンはその開拓をやり遂げる。何でも「絶対不可能」はないのである。
だが、絶対可能もない。
あのときUが開発しようとした土地は今でも開発されぬままのようだ。あのあと、Uは暫く執着していたようだったが、悪戦苦闘したあげく数年後にやっと諦めたと人伝てに聞いた。
私の言葉を素直に聞き入れていれば、無駄な苦労しなくても良かったはずだとも思うが、そんなことはUには関係あるまい。夢を見ている者にとっては、善意であろうと悪意であろうと所詮ドリームキラーはドリームキラ―だ。彼らはいくら苦労はしても夢を見ている間が幸せなのだから。
映画でもそのことに気付いたケーレンは後年、開拓した土地を手放す。そして、そこで共に夢を見た愛を取り戻しに行く。
画像引用元 FASHION PRESS

