テレビドラマ『沈黙法廷』(主演 永作博美)
【マグダラのマリア?】
最終回まで観終えて、ふと頭に浮かんだのは「マグダラのマリア」である。再三言っているように私には宗教心のカケラもないので、「マグダラの…」について正確なことは何も知らない。
知っていることと言えば、娼婦として罪深い女と蔑まれる一方で、キリストの死と復活に立ち会った聖女だということくらいである。現代の聖書学では前段の「娼婦」云々は誤解だとされているようだが、私のような俗人にはむしろ人間的で好ましい女性のように思える。そして、その辺りがこの主人公・山本美紀と重なる。
話はこうだ。山本美紀が家事代行業で訪れていた馬場幸太郎宅で殺人事件が発生する。警察は収入が少ない割に良いマンションに住んでいる山本を容疑者として逮捕する。馬場老人と愛人契約を結び貢がせたが、関係がこじれて殺したのだろうと。
またマスコミも、山本の家事代行先では他にも老人の不審死や失踪などが発生していることから、山本を「稀代の毒婦」として加熱した報道をする。「マグダラの…」が世間から蔑まれたように。
しかし山本の無実を最初から信じていて疑わない者がいた。事件の前後、恋人として付き合っていた高見沢弘志である。彼は山本が人を殺すような人間にはどうしても思えないのだった。
やがて始まった裁判では山本は「殺していません」と主張するも多くを語らない。審理が進む中で「愛人契約などありません」としていた山本が馬場老人と箱根に宿泊していた事実が判明する。
それについても山本は沈黙を貫こうとするが、法廷での高見沢の証言「彼女はいつだって真剣だった」に触れて、やっと重い口を開く。箱根泊の真相はあくまでも老人の孤独を癒すための行為であった。
美談とも言えるが、高見沢にとっては耐え難い。どんなに慈悲深い精神に基づいていたとしても、やはり馬場との行為は結果として高見沢への裏切りである。
それが分かっていたからこそ、山本は法廷で沈黙を選んだのだろう。まるで誤解すらを受け入れる殉教者のように。だが裏を返せば、それこそが彼女の本質── 「マグダラの…」的だと言って良い。
馬場とそのような関係を持てば、高見沢を傷つけるのはもちろん、自分の幸せも手放すことになるのは分かっていた。しかしそれでも彼女は目の前の孤独な老人を放っておけなかったのだ。まさに「マグダラの…」的である。
ラストでは高見沢はその山本の本質を理解したうえで、将来を共にするようである。彼女はこれからも自分を汚してでも慈悲深い行為を捧げるだろう。高見沢が最終的に選んだのは「許し」というより、彼女という存在への「帰依」に近いように思える。
画像引用元 TELASA

