映画『Sin Clock』(主演 窪塚洋介)
【奇跡は起こらないけれど…】
窪塚洋介が18年ぶりに長編邦画の単独主演を務めたという本作は、タイトルの『Sin Clock』(罪なる時計)とSynchro(シンクロ/偶然の一致)という同音異義語が絡み合う意味深長な映画である。
若干ネタバレになってしまうが、本作における「罪なる時計」とは、窪塚の扮する不遇のタクシードライバー高木が同僚二人と企てる完全犯罪の肝が1分を争う時間管理という意味だ(おっと、これ以上は言えない)。
一方、「偶然の一致」については、高木が偶然乗せたタクシーの利用客が、偶然車内に落としていった名刺入れから政治家の大谷であることを知り、これまた偶然同時期に中途入社した同僚の坂口と番場の三人──彼らは誕生日も偶然3月3日で一致している──で、大谷の所蔵する時価数億円もの絵画を強奪する計画を思いつく。それら偶然に導かれるようにして。
その結果は……まあ、観てのお楽しみということにして、ここではエンディングに流れたテロップ「人生には二通りの生き方しかない。ひとつは人生に奇跡など何も起こらないと思う生き方、もう一つはあらゆることが奇跡だと思って生きること」について考えたい。
調べるとアインシュタインの言葉のようだ。後者を選ぶことで、人生はより豊かで幸福なものになるというメッセージらしい。大天才物理学者アインシュタインならば、おそらく世界のあらゆる事象を数式で書き表すことが可能なはずだ。その彼がこの言葉を言ったとは実に興味深い。
いつも言うように私自身は科学至上主義者なので、世界は合理で成り立っていると思っているし、この世で不思議なことは何も起こらないと確信している。よく女性からは
「あなたって、つくづくつまらない人ね」
と愛想をつかされるが仕方ない。スピリチュアルなことなど何も起こらないのだ。
だがその一方で、人生の多くは偶然の積み重ねだとも感じている。とりわけ人との出会いは偶然の賜物で、あそこであの人に出会わなければ……と思うことは実に多い。
つまり、望んだ奇跡など決して起こらないが、今の自分の人生は奇跡の産物なのだ。
さて映画の方は、偶然転がり込んだ情報で、高木らの時計を細工した第四の男が大金を手に入れる(って、あーあ結局言っちゃった)。
この世で起こるあらゆることが奇跡なのだ。
画像引用元 映画.com

