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小説『スパンキング・ラヴ』(山川健一)

小説『スパンキング・ラヴ』(山川健一)

【奈落の底】

東京・渋谷駅は日本ではもちろん、世界的にも広く知られた駅だが、その地下に川が流れていることを知っている人は少ないだろう。

現在は厳密に言うと下水道という位置づけではあるが、それは行政管理上の区分に過ぎない。渋谷スクランブルスクエアの開発が行われるまでは、地下にありながら管理区分上も河川だった。かつて童謡「春の小川」にも歌われた宇田川を支流に持つ渋谷川である。

その渋谷川を、スクランブルスクエアを開発する際に訳あって少し動かさねばならなかった。そこで設計に先立ち、地下河川の様子を確認するため中に入って見たことがある。

東京都の場合、合流式下水道なので降った雨の多くは雑排水や汚水と一緒に下水道管に流される。このため、渋谷川も普段はほとんど水が流れていない。だが豪雨時等、下水道の流下能力を超える雨が降った場合は、汚水等を含んだ水が河川に流れ込む。

懐中電灯を片手に我々が入ったときは冬場の渇水期だったので、やはり深さ数センチほどの僅かな水が足元を濡らしていただけだった。だが、ねっとりとした空気と独特の臭いが、下流から上流へと進む我々一行の全身に纏わりついた。ときおりかさかさと音がして、隅の方を見ると猫と見紛うほどの大きな鼠が掛け抜けて行った。

そして何より驚いたのは、先頭を行く者の光の先に、数メートルもある巨大なコンクリートの残骸が横たわっていたことだ。いったいどこから流れてきたのだろう。大量の水が押し流す力は計り知れないのだなと改めて認識した。

さて本作は、渋谷で女性をスカウトするところから始まる、SMを背景にした男と女の関係、快楽と苦痛の境界、人間の欲望と葛藤を描いたものである。

そのクライマックスにある

「人間って生き物の奇怪な暗渠ってものを覗き込んでしまったんだよ。(中略)俺は血と精液と糞と小便と、欲望と諦めと罪と罰が渦巻く奈落の底へ引き摺り込まれかねなかった」

というくだりを読んでいて、久しく忘れていたあのときの光景を思い出した。

渋谷川の流域には小説の書き出しにあった公園通りの一帯も、ラブホテル街として有名な円山町なども含む。いや、渋谷という街がまさに「血と精液と糞と小便と、欲望と諦めと罪と罰」が渦巻いているのだ。その奈落の底が、あそこにあった。

だが、地上の煌びやかな街を行く人のほとんどは、その存在を知らない。貴方も次に渋谷に行くときは、巨大なコンクリート塊を押し流すほどの奈落の底が足元にあることを想像して欲しい。

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