映画「シークレット・ルーム/アイ’ム ホーム 覗く男」(監督 ロビン・スウィコード)

【私は虜囚】
私はかつて敏腕弁護士だった。その日、仕事を終えて、いつものように郊外の自宅に戻る途中、電車の中で停電に合った。日本ならこの手の停電の復旧は通常あっという間だろう。だが、ここニューヨークでは再び通電するのに何時間もかかることが珍しくない。おかげで私たち乗客は電車を降りて線路伝いに徒歩で帰宅するはめになった。
やっと自宅に着いたとき、庭の隅になにやら動くものをみつけた。近くの森に生息するアライグマだ。奴はそのまま別棟の納屋に入って行った。郊外に住むと時々こういうことがある。やれやれ。疲れているのに……。
棲み付かれると面倒なので、その小動物を追いかけて納屋の2階に上がった。すると、ちょうどそこの窓から母屋にいる家族たちが見えた。若くて美しい妻とは昨日から夫婦喧嘩中だ。双子の娘たちとの関係性もよくない。そんなことを思い出して私はうんざりし、そのまま納屋で一夜を過ごしてしまった。
自分でも驚いたことに、その後も私はその納屋に棲みついてしまう。もちろん妻たちに気づかれないように。社会的には帰宅途中の行方不明、すなわち失踪という扱いになったようだ。以来私は、ホームレスのような生活──夜中に住宅地のごみ箱をあさる──をしながら、納屋の2階から家族の様子を見続けている。
この映画を観ている日本の諸君は、邦題『シークレット・ルーム』からきっと、妻が直ぐにでもほかの男を自宅に連れ込み浮気することを想像したかもしれない。そして、その現場を私がこの窓から覗く──。実は私もそう思っていた。しかし、そんな兆候は一向に見当たらない。
当初こそ、私が居なくなったことで混乱したようだったが、何日もしないうちに彼女たちは日常に戻って行った。妻は博物館の学芸員を続け、娘たちはいつものように学校に出かけた。まるで何事もなかったかのように。
季節はやがて夏になり、彼女たちは毎年恒例のバカンスに出かけた。私がそこに居ないことなど、もはや何の疑問も持たないようだ。そうこうしているうちに私の髪や髭も随分伸びた。ハロウィンの季節になっても、雪が降り始めても、妻たちの生活は変わらなかった。
私も元の生活に戻る気にはなれなかった。かつて私があそこで私自身や家族を守るため築いていたはずのものは、自らを閉じ込める牢獄だったのだ。今、私は限りなく自由だ。そして、未だかつてないほど妻を愛している。近くに居ながらにして決して触れることの出来ない妻を、そして娘たちを。
画像引用元 サスペンス映画の達人