小説「ダンス・ダンス・ダンス」(村上春樹)
2025
6
23
小説「ダンス・ダンス・ダンス」(村上春樹)

【僕だけが出られない】
その部屋には入り口があって、出口がある。その部屋にいる間だけ、僕らは一緒に居られる。でも誰一人として、その部屋にとどまらない。やがて皆がそこから去っていく。一方向にしか進まないベルトコンベアみたいに。結局のところ、通過するだけなんだ。
僕はいったい彼女に何を望んだのだろう。僕はいったい彼女に何をしてあげられただろうか。そもそも僕は何をしたかったのだ。
何かをするにはあまりにも時間がなかったし、先のことまで責任の持てる時間など僕はまったく持ち合わせていなかった。
どこぞの偉い学者が何と言おうと、時計の針は今でも右回りにしか進まない。チックタック、チックタック…。宇宙は今日も膨張し続けている。今更部屋から出て行った彼女を探しても、もっと僕自身が失われるだけだ。
「さてと──そろそろ僕もこの部屋から出なくちゃいけない」
僕は今日、この言葉を何回口にしただろうか。こんなところにいつまでも居てはいけない。いい加減に僕は立ち上がらなきゃ。そう思いながらも僕は目の前の灰皿をじっと見詰めている。いつまでも飽きもせず。そしてそれは、宿命的な銀色の光を放って悄然とそこにあった。
やれやれ、どうやらぐるっと一回りしただけみたいだ。とどのつまり、僕はどこにも行けそうもない。僕だけが出口のドアを見つけられない。そうこうしているうちに可能性が減って、悔恨だけが増えていく。
それでも、僕に出来るのは待つことだけだ。ここで、何かが変わることをじっと待つことにしよう。かっこう。