新書「倫理資本主義の時代」(マルクス・ガブリエル)

【要するに三方良しの思想である】
このところ、新自由主義──個人や市場への政府介入を最小限にすべきとする──が強欲資本主義を生み出し、それが現下の極端な経済格差や地球規模の環境破壊をもたらしているという言説をたびたび耳にする。しかし、その新自由主義の恩恵を多くのフツーの人と同様に散々享受して来た私としては素直に賛同できない。
たしかに、世界には未だ1日を10ドル以下で生活する人が6割弱もいる中で、自分はおろか孫子の代にわたっても使い切れないほどのカネを稼ぎながらなお満足しない資産家をみたりすると、いったいこの人たちは何をしたいのだろうかと思ってしまう。また、その経済活動によって気候変動等の地球環境が既に引き返せないほどに悪化していることも心配せずにはいられない。
だがだからと言って、それらの問題の所在をすべて資本主義に求めて、脱成長・脱資本主義を唱えるのはいかがなものかと個人的には思っている。経済学者の成田祐輔氏が脱成長について「心では共感できても、頭で考えれば成り立たないことが明白だ」というようなことを言っていたが、その通りだと思う。
そうした中、著者は倫理資本主義という考え方を提唱する。既往の資本主義に倫理観や道徳的な価値を取り込むことによって改善するのだと言う。これに対し、「そんなこと……」と鼻で笑う向きもいるだろうが、私は日本人には馴染み易いように思う。
なぜなら、古くから近江商人の言う「売り手良し、買い手良し、世間良し」の「三方良し」の思想に近いからである。あるいは、「箱根山、駕籠に乗る人、担ぐ人、そのまた草鞋を作る人」という諺(短歌?)にも通じるかもしれない。要は相対の取引(ディール)だけではなく、社会があっての経済活動であるということだ。その社会に害をもたらしてはなんにもならない。
もちろん、日本人だけならまだしも、世界中の強欲に慣れ親しんだ人たちをどう導くかの課題はある。著者は各企業に倫理部門を設けることを提案するが、それが経済活動の中で機能するようになるには工夫も必要だし、時間もかかるだろう。だが、脱成長・脱資本主義よりはよほど現実的なソリューションであるように感じた。