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新書「蓮如 聖俗具有の人間像」(五木寛之)

新書「蓮如 聖俗具有の人間像」(五木寛之)

【どだい男は一人の女性さえ守れない】

浅学な私は恥ずかしながら、これを読むまで蓮如というのは女性だとばかり思っていた。その名の響きが原因だろうか(女性っぽい?)、はたまた蓮如の功績とされる女人救済から勝手に本人も女性だと連想していたのか──。

そんな連想は21世紀に生きる人間のノー天気な思い込みに違いない。なぜなら彼の生きた中世では、女性は罪業深重、五障三従などと言われ、障りを持った汚れた存在として蔑視されていたからだ。女性自らが女人救済を叫ぶことなどあり得なかっただろう。

さて、その蓮如は本書によれば、85年の生涯で5人の妻を持ったという。彼を看取った最後の妻以外はすべて死別らしい(離縁とかではなく。最後の妻も死別と言えば死別か…)。最初の妻を28歳で迎えるが41歳のときに亡くし、ほどなく二番目の妻と再婚するも56歳のときに死別。三番目とは64歳のとき、四番目とは70歳を超えてから先立たれたという。

ここまで来るとミステリー好きな私は、本当に病死や事故死による死別なのか? と下世話な疑いを持ってしまうが、これも現代的な発想なのだろう。

また、5人も! と羨ましく思う人もいるに違いないが、私としてはノーサンキューである。というのは、私は妻を亡くしたとき、もう他人の命を背負うのはたくさんだと思ったからだ。小田和正は「たしかなこと」という曲で

〽時を超えて君を愛せるか/本当に君を守れるか

と歌うがあれを聴くと、「ああ、俺は守れなかったなあ」とつい思ってしまう──。どんなに威勢のいいことを言ったところで、どだい男は一人の女性さえ守ることができないのだ。妻を亡くした後、新たな女性を好きになるたびに、そのことを考える。

だから、蓮如がその後4人もの妻を娶ったというのは、驚きである。著者・五木寛之も書いているように、

「次から次へと安易に女性を替えたというのではなく、(中略)女性たちに先立たれては心から悲嘆にくれることの繰り返しだった…」

に違いなく、それを乗り越えるパワーというか、エネルギー(著者が本書で盛んに使っている言葉)は相当なものだったと思える。そしてその有り余るエネルギーがあったからこそ、女人救済に向かったのだろう。

一人の女性の死で打ちのめされた私には何もできない。

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