新書「道と日本史」(金田章裕)
【古の道路に思いを馳せる】
この春にレギュラー放送を終了した「ブラタモリ」が、11月に3夜限定で復活するという。大阪・京都の道をテーマにするらしい。今から楽しみだ。道──道路というのは私たちの最も身近な公共物と言って良いだろう。その意味で本書のタイトルもまた魅力的である。
その道路がどのような成り立ちを持ち、それぞれの時代においてどんな形態で何処と何処をどういう経路で結んで、どのようなネットワークを組んでいたのか(当然、現代と同じではあるまい)。そしてそれらは、その時代の史実にどのような影響を与えたのか、あるいはどのような役割を果たしたのか──考えるだけでワクワクする。
そもそも公共物という位置づけにあったのだろうか(庶民にその認識があったのか)、あったとすればそれはいつの時代からか。また、それぞれの時代で所有権は誰にあって、管理は誰がしていたのか。さらに言えば、道路に限らず土地に所有権という概念が発生したのはいつからなのか──興味は尽きない。
本書によると、古代から中世にかけて既に「官道」が存在していたという。現代にも残る東海道、北陸道、山陽道などの〇〇道とは当時の日本の領域区分を示す名称であり(現代の北海道はそのなごりか?)、官営の道路を示す名称でもあったそうな。おそらく、もともとはその領域の名称だったのが、次第にそこを進むのに使った道路が当該領域の象徴として認識され、その結果混用されるに至ったのだろう(逆かもしれない)。
そして、何より興味深いのは、それらの官道は、基本的に直線で広幅員であったという記述だ。それはすなわち現代で言うところの高規格道路に相当する。
平城京や平安京の朱雀大路が直線で広幅員であったことはよく知られている。外国の要人を招いた時に我が国の国力を誇示するためだったというが、限られた延長の朱雀大路ならまだしも、日本列島を網羅するような長距離の官道が、そのような形態を取っていたとは信じがたいことである。
というのは、地形の起伏の激しい我が国で、そんな道路を作ろうとすれば莫大な費用がかかるはずだ。古代の国家にそんな経済力や労働力、ひいては統治力があったのだろうか。不思議だ。そして、そこまでして造った道路が歴史にどういう影響を与えたのか──。
本書にはその辺りについての記述は乏しい。中世において官道が沿道の土地から蚕食されて狭窄し蛇行したという興味深い記述はあるものの、ほとんどがこれこれの史書に、こういった道についての記載があるという程度だ。
したがって私が最初に期待した、それらがそれぞれの時代の史実においてどのような役割を果たしたのか等については、まったくと言って良いほど知ることができなかった。残念である。