映画「コット、はじまりの夏」(主演 キャサリン・クリンチ)
【主役の子の透明感が半端ない!】
私の娘は、どちらかと言うと幼い頃から内向的というか、あまり積極的に感情や意志を表に出さない子供だった。誕生日などにプレゼントを渡しても嬉しいのか、がっかりしているのか……、このコットのように何かにつけ反応が薄かった。
そんな我が子を見て妻に不満を漏らしたことがある。
「なんだか、張り合いがないよなあ。よその子は大喜びするらしいぜ」
「いいのよ、あの子は自分の部屋に戻ってから、じんわり喜ぶタイプなの」
その後、妻が亡くなり、いよいよ私は彼女の将来を心配した。このまま大人になって大丈夫だろうかと──。
ところが、高校2年生のときに、イギリスに短期留学して帰ってくると、娘の性格は一変していた。感情を表し、明確に主義主張をするようになっていたのだ。聞けば、かの地ではそれをしないと、そこに居ないものとして扱われたからだと言う。その変わりようは時に戸惑うほどだったが、妻に似てきたようでもあり、私は好ましいものとして歓迎した。
だからきっと、このコットも変われるに違いない。映画では元の木阿弥──魔窟のようなところに戻されてしまうが、この世界には愛があること、光があることを知った彼女は、希望をもって生きていけると思う。多感な時期は、私の娘のようにちょっとしたことで変われるのだから。もちろん、これまで通り無口のままだって良い。世界は変わって見えるはずだ。
ラストはとても感動的である。亡くした我が子とコットを重ねていた、あの夫婦も別れは辛かったに違いない。抱きしめてやりたい──そう思っていたに違いないのだ。そしてそれは、意思表示が苦手だったコットによって果たされる。
いつも洋画の邦題にはケチばかり付けている私だが、このタイトルは秀逸だと思う。コットの人生は始まったばかりだから。
映画を観終えて、私もあの日に戻って娘を抱きしめてやりたい気持ちになった。もっとも、今の彼女なら
「やめて! キモチ悪いから」
と、はっきり言うに違いない。
画像引用元 アップリンク京都