テレビドラマ「逃げるは恥だが役に立つ」(主演 新垣結衣 星野源)
【それでも結婚しますか?】
ガッキー可愛いなぁ。可愛いだけじゃなくて、家事もしっかりできるなんて──。うちにも来てくれないかな。で、来てくれたついでに、こんなふうに契約結婚してくれたり、偽装で良いから恋人になったりしてくれないかなあ……。
おっと、いけね。俺、65だったわ。こんなこと口に出すのはもちろん、心の中で思うだけでもいけないのだった(キモチ悪いぞ!)。
──てな感じで、ノリツッコミをしながら全11話の過半まで楽しく視ていたのだが、次第にこれは現代のこの国における非婚化の真相を描いている、なかなかの良作であることに気づいた。
そう、今の日本では(いや、先進国全体の傾向と言えそうだが)、結婚というシステムは経済的にはもちろん、肉体的にも精神的にも割が合わないのだ。実に。
私たちが皆貧しかった時代には、結婚という共同生活には相応のメリットがあったのだと思う。たとえば夫婦で、あるいは家族で一つのものを共有すれば、安上がりだった。ところが、今や個人主義の世の中だから、自分の好みを曲げてまで共有などしない。自分専用のものをそれぞれ買うのだ。
昔に比べ女性の経済力も格段に上がっているからなおさらだ。いきおい、家事の負担が大きい女性の側が搾取されていると感じるようになる(このみくりさんのように)。
男の側だって、一人で暮らせば家事などテキトーに済ますことができるのに、女性と生活すればそうも行かない。嫌々ながら家事をシェアするが、往々にして女性の望むようにはできないからキレられる。
お互い疲れて帰ってきたのに、その肉体にムチ打って家事をこなし、しかも相手の趣味嗜好に合わせなければならないなんて、精神衛生上も誠によろしくないのである。それは文句を言う方も同じだろう。
そのうえ結婚となれば、お互いの実家とも付き合っていかなければならない。これが実に面倒である。配偶者に合わせることすら時に苦痛なのに、互いの家族・親戚となれば、これはもう──何をか況やである。
しかし、そうした肉体的・精神的苦痛や、経済的非合理を乗り越えてまで、人間という生き物は愛する者と寄り添って生きていきたいようだ。
みくりさんと平匡(なぜか呼び捨て!)もそうしたように。
画像引用元 モデルプレス