書籍「集合住宅と日本人」(竹井隆人)
【最も身近な民主主義社会】
私が東京にいた頃、長く住んだのは500戸からなる大規模マンションだった。そこでは区分所有法に基づく管理組合と地方自治法に基づく自治会が別個に組織されていた。
私はそこで管理組合理事長と自治会長を歴任した。歴任したなどと言うとそこの名士だったかのようでエラソーだが、ご多聞に漏れず両組織とも輪番制の中で嫌々引き受けたに過ぎず、自慢できることではない。
もっとも、理事や役員は十数年に一度はやらなければならないが、それぞれの長となると、おいそれと引き受ける必要などない。それでも
「私で良ければやりましょう」
と言ってしまったのは、私の生業の知識やノウハウを役立てられそうだというのと、普段のマンション生活で、このルールはおかしいだろ! と思えることが幾つかあったからだ。
どうせ理事や役員をやらねばならないのであれば、長となって普段おかしいと思っていることを率先して変えてやろうと思ったのである。
さて本書の著者は、共有財産を持つ私的政府によって統治される集合住宅でこそ、民主主義が磨かれると説く。ここで言う集合住宅とはマンション等(建築基準法が定める共同住宅)とは限らないが、区分所有法によって規定される分譲マンションが分かり易いのは確かだ。
居住者の共有財産たる廊下やエレベーター、集会所等の共用部を管理するマンションの管理組合が私的政府というわけだ。それらを持たない自治会は私的政府としては弱いという著者の指摘は、私の経験からもアグリーである。
もちろん、分譲マンションでも管理組合総会への委任状を出すだけで、実質的に参加せずに通すことは可能だ。だが、それではかつての私が感じていたように、おかしいと思えるルールを甘受し、一方的に日常生活が制約されることになる。
積極的に参加することで、自分の望む生活が実現できる。政治参加とはそういうことだということを管理組合理事長を務める中で実感した。もちろん、理事長だからと言って独断専行できるはずもなく、民主的な手続きを踏む必要がある。まさに参加し経験することで民主主義が磨かれるのである。
その意味で、著者の「戸建て住宅地でもゴミ集積所や集会所等を居住者の共有財産とすることで、自治会を私的政府たらしめる」という提唱は一考に値する。まちづくりに必要なのはガバナンスであって、曖昧なコミュニティ信仰ではないと著者は言うが、その通りだと思う。