小説「流浪の月」(凪良ゆう)
【適切なことを適切なタイミングで言うこと】
私は今でも平日、都市開発に係るコンサルタントをしているのだが、最近はもう以前のように資料をガンガン作って……ということは少なく、ほとんどがアドバイザリー業である。そう言うと、多くの人に
「それは楽な仕事ですねェ」
などと羨ましがられる。がしかし、これがなかなかどうして大変で難しいのである。
ひとつ言えるのは、しゃべり過ぎないこと。もちろん、知識不足等でしゃべれないのでは話にならないが、多くを語れば良いというわけでは決してない。適確なタイミングで適確なことを簡潔に言う。それに尽きるように感じている。
そのためには顧客の相談事の核心、あるいは本質を見極め、ここぞというときを見計らって切れ味鋭く、平易な言葉で短く述べる。──これが殊の外難しい。しかし、うまくいったとき(顧客の納得感を得られたとき)は、バサーっと斬れたような感触がある。
この物語を読んでいて、主人公の更紗にもどかしさを感じた。なんで、そのタイミングで反論しない? なぜ黙る? 今、言わなきゃダメでしょ! と何度思ったことか。それさえしていれば、彼らはあんなに苦しまなかったはずだ。
しかし前述の通り、その分野の専門家たるコンサルタントですら、適確なタイミングで適確なことを言うのは難しいのだ。大人になってからの更紗もさることながら、9歳の少女にそれができなくても仕方あるまい。
ところで、成人してからも更紗はかつての誘拐犯とされる文と一緒にいようとして、「ストックホルム症候群」のレッテルを貼られる。まるでそれが大惨事であるかのように。
もちろん的外れなレッテルなのだが、仮にそうだったとして何が問題だと言うのだろう。現在の彼らは法を犯すどころか、誰にも迷惑をかけていない。本作の映画について書いたときにも触れたが、現代の世知辛い世の中において、彼らは素晴らしい関係性を築いている。
訳知り顔でストックホルム症候群などと決めつけた専門家が二流なのだ。事の真相を探ろうともせず、不適切なことを不適切なタイミングで言ったものである。