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書籍「仕事に効く教養としての「世界史」 」(出口治明)

書籍「仕事に効く教養としての「世界史」 」(出口治明)

【世界史を知ることで見える日本史】

歴史を学ぶとき、私たちは(少なくとも私は)無意識のうちに現在の国境をもとに当時を思い浮かべてしまう。あたかも太古の昔からそれが不変のごとく──。しかしもちろんそんなことはあり得ない。

何千年も前から戦争という愚かな行為を繰り返してきたのが人類である。その領土は都度、変わってきたに違いない。

浅学な私は本書で初めてイギリスとフランスはかつて一体であったことを知った。一つの国だったと言うのは語弊がありそうだが、少なくとも複数の統治者が両国に跨っていて、領土も入り乱れていたようだ。

その後、百年戦争を経るなどして、現在の国境(ドーバー海峡等)で両国は分かたれる。その経緯は複雑すぎて、私のような凡夫には一回読んだだけでは理解不能である。だが、フランス人が英語を拒絶しフランス語に拘るのが(最近はそうでもないようだが)、何となくわかる気がする。

その辺りを読んでいて、ふと思い出した。それは、本書の第一章にあった「倭という国は韓半島(朝鮮半島)と北九州の一部だったかもしれない」という著者の持論である。

本稿の冒頭で指摘したように私たちは日本という国は太古の昔から変わっていないと思いがちだ。したがって、倭と呼ばれた国も現在の日本の国境でつい考えてしまう。だが、イギリスとフランスのように、朝鮮半島と九州(ひいては日本)が一体であったとしても何ら不思議はないだろう。

もう一つ、本書で目から鱗だったのが、「実力で成り上がった人は、正統性の根拠を求める」という記述である。

先週、私は書籍「承久の乱 真の「武者の世」を告げる大乱」(坂井孝一)について書いたとき、武士が朝廷に弓を弾き、勝ったにもかかわらず、天皇制を残したのは不思議だと述べた。中国やヨーロッパだったら根絶やしにしただろうにと。

しかし、それはヨーロッパでも同じだったのである。戦争に勝っても、ただそれだけでは人々を統治することはできない。正統的な王であることを権威ある者から認定される必要があるというのだ。

それがヨーロッパではローマ法皇からローマ皇帝の戴冠であり、日本では天皇から将軍任命だったのだろう。そのためには、朝廷と戦って勝ったからと言って、その権威までもなくしてはならなかったのである。

なるほど。世界史を学ぶことで見えてくる日本の歴史はたしかにあるようだ。

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