新書「承久の乱 真の「武者の世」を告げる大乱」(坂井孝一)
【老害を許す文化の源流?】
ボブ・ディランはその昔、「時代は変わる」という曲の中で「年寄りの出る幕じゃねえよ」と歌ったし、最近では経済学者の成田祐輔氏が「年寄りは集団自決すべし」と言って話題になった。いずれも真意は与り知らぬが、正鵠を射ているには違いない。自分が年寄りと呼ばれる歳になってそう思う。
テキトー男・高田純次は年寄りがしてはいけないこととして「昔話、自慢話、説教」を上げている。私もここで話題に事欠いてついつい昔話をしてしまうので反省せねばならない。それらが高じるといずれ老害と呼ばれるようになる。
4人に1人以上が高齢者という現代のこの国においては、諸事万事につけ老害が蔓延っている。本来なら「年寄りの出る幕じゃねえよ」のはずなのに、その機会を許すのは何も年金制度の破綻に伴う高齢者就労だけが原因ではなかろう。
この国の文化がそうさせているのではないか。そしてその源流は平安時代末期に端を発する「院政」にあるのではないか、とかねて思っていた。そんなわけで、このところ院政に関する本を読み漁っている。その中で出会ったのが本書である。
承久の乱については、その名前ぐらいしか知らなかった。私のような勉強不足の人もいるだろうから、軽く触れておく。
鎌倉幕府三代将軍・源実朝が1219年に暗殺されると、それまで良好だった朝幕関係が一変する。1221年、幕府をコントロールできなくなった後鳥羽院(上皇)が幕府の実権を握る北条義時の追討を命ずる陰宣(上皇の意向の下達文)を下すのである。しかし、京方は武力行使に手間取る間に鎌倉方の進撃・上洛を許し、そのまま敗戦の憂き目に遭う。
私がこの承久の乱で着目したいのは、史上初めて(?)武士が朝廷に弓を弾いたという事実である。当時、天照大神(アマテラスオオミカミ)の皇孫とされる上皇に弓を弾くというのは、いわば「神殺し」と同義だったに違いない。
そしてさらに興味深く思うのは、その結果として武士が勝ったにもかかわらず後鳥羽院を隠岐島に配流したとはいえ、天皇制というこの国のかたちまでは変えなかったことだ。最初から神殺しなどするつもりはなかったのかもしれない(いや、なかったのだろう。お仕置きをする程度で……)。
これが中国やヨーロッパなどの諸外国であったら未来永劫再興することがないように、制度そのものはもちろん、一族郎党子々孫々までを根絶やしにしたのではないかと思う。第二次世界大戦後の米国の本邦天皇制に対する対応と同様に不思議である。(そうすべきだったと言いたいのではない。単に素朴な疑問である。)
しかし、それがそのまま院政を存続させ、老害を許す文化につながっていると見るのは穿ち過ぎだろうか。