映画「ダンケルク」(監督 クリストファー・ノーラン)
【戦争で死ぬのは勘弁だけど……】
海は嫌いだ。冷たいし、波が高くて溺れそうだし、サメだっているかもしれない。
戦争はもっと嫌いだ。アホな大本営や上官に振り回されそうだし、あげく無駄に疲れそうだし、弾に当たれば痛いだろうし……、それで死ぬなんてまっぴらだ。
戦争映画をみると決まってぐったりと疲れてしまう。いったい誰がこんなくだらないことを始めたのだ。いったい何のための戦いなんだ──、いつもそう思う。
第二次世界大戦初期の仏ダンケルク海岸における英仏軍の勇気ある撤退。主人公のトミー二等兵は救助船になんとか乗り込み、故国イギリスを目指して一旦は海岸を離れるが、ドイツ軍の攻撃を受けて浜辺に戻されてしまう。
イギリス軍が本土決戦に備えて駆逐艦等を温存しているので、撤退は遅々として進まない。しかし最後は志願した民間徴用船の一団が駆け付け、当初数万の兵しか救えないと悲観された撤退は30万の兵を引き上げることに成功した──という話だ。連合国側はこの大撤退により士気を高め、集団としてのアイデンティティを強めたという。
ラストは戦争を賛美するかのような終わり方にも見えたが、そう見えてしまうのは私が平和ボケしているからなのだろう。
彼等だって好き好んで戦争をしていたわけではないのだ。祖国を守ることの意味を彼らはわかっていたからに違いない。
私は若い頃、
「日本のためになんて戦わないよ。国なんて実体のない虚構じゃないか。日本がなくなったって俺は困らないさ」
などと粋がっていた。反戦フォークソングの影響もあったと思う。
があるとき、一人の友人に窘められた(彼は少し右翼チックだった)。
「じゃあ、お前は侵略してきた敵兵に娘が凌辱されるのを黙って見ているって言うのか⁈ 戦わないというのは、そういうことだぞ!」
侵略には掠奪と凌辱が付き物だというのは、21世紀になってもウクライナの地で証明されているようだ。
戦うことで祖国を守ることが家族を守ることにつながる。この映画の彼らは──民間徴用船団に志願した人たちを含めて──そのことをよく理解していたのだろう。
さて、現下の世界情勢はタモリが「新たな戦前」と指摘した通り、いよいよきな臭くなってきている。そこにトランプが米大統領に返り咲けば、安全保障のバランスは一気に崩れるのだろう。
そのときが来たら(その前にまずは皆で戦争回避の努力をしよう。しかし、万策尽きて戦争に突入したのなら)、私は戦うことになるのだろう。いや、戦わねばならない。娘を差し出すわけにはいかないのだから。トミーのように重油まみれの海で藻掻きながら、せめて犬死しないことを願いつつ……。
画像引用元 100BritishFilm.com