書籍「男の引き際」(黒井克行)
【年老いた象が群れを離れるように】
男の──いや男だろうが女だろうが──引き際は難しい。本書には潔い引き際を飾った人たちが紹介されているが、こんな人たちは稀である。
政界や財界、芸能界から球界……、果ては身近な組織に至るまで、引き際を誤り、老害をさらしている例は枚挙にいとまがない。私は、あの(尊敬している)イチローですら、現役の引き際を間違えたと思っている。諸般の事情があったにせよ、会長付特別補佐などという意味不明な立場になってまで、現役に固執してはいけなかったのだ(あくまでも個人的な意見ですv)。
そんな風に思う私にとって理想の引き際は、かねて映画「シェーン」の主人公のそれだと思っている。現場で起きている喫緊にして最大の課題を一挙に解決し、言葉少なに人知れず去っていく。男の──失礼、男だろうが女だろうが、引き際はかくありたいものだ。
しかしながら、なかなかそうは行かない。それだけの実力があると、往々にして「余人をもって代えがたい」などと煽てられるものだから、ついつい長居をしてしまう。でも大丈夫。居なければ居ないなりにやる、というのが組織なのだ。
引き際を動物に学ぶのも良い。昔から猫は死ぬ前にいつの間にか姿を消すというし(眉唾っぽいが)、死期の近づいた象は群れから静かに離れるという。
「あれ? あの人、いつの間にか居なくなったなぁ」
と、周りの者が思うくらいでちょうど良いのである。
40年近く勤めた前職を辞するときに、私はこれを目指した。さすがに迷惑をかけぬよう上司や最小限の部下には前もって告げたが、最後の願いとして箝口令を敷いてもらった。その後、私は徐々に会社に居る時間を減らして、いつの間にか消えたように見せた(…つもりだ)。
もちろん送別会もなければ、出社最後の日にお別れの言葉もなし。おかげで、余分なことを言わずに済んだ。どんな高尚な言葉を並べても所詮、残された者にはどうでも良いことで、いつもと変わらぬ日々が続いていくだけなのである。