映画「すべてが変わった日」(主演 ケヴィン・コスナー ダイアン・レイン)
【婚姻とは文化の衝突である】
妻がまだ生きていた頃、彼女の実家ならびにその親戚との付き合いが苦手だった。妻の実家は、私たちが結婚する以前に父親が他界していたので、比較的敷居が低かったのだが、それでも色々と文化というか、ものの考え方というか、生活様式が私の育った家とは違って戸惑ったものだ。さらにその親戚・一族郎党との付き合いとなると、ほとんど理解不能だった。
もちろん、そうしたことはどこの夫婦でもありがちなことで、この正月に配偶者の実家付き合い等でそれをあらためて実感した人もいるだろう。しかし、やはりどこの地方の出身かによる差異──私は静岡県浜松市だが、妻の実家は埼玉県蓮田市の出だった──が大きいように思う。北海道の人と沖縄の人が結婚したら大変だろうなと思うし、ましてや違う国の人となれば文化どころか、文明の衝突といった様相を呈するだろう。
さて、この映画に出てきた主人公夫婦のジョージとマーガレットは、死んだ息子の嫁が再婚した男ドニーの実家(ああ、ややっこしい)の高圧的な態度に大いに戸惑い、それが高じて仕舞いには刃傷沙汰となる。フツーに観れば、ドニーの実家のやり方に非があるように思えるが、しかしそれはあくまでも主人公夫婦の側から見える風景なのだ。
ドニーの実家からすれば、劇中にもあったように
「なんでもそっちで勝手に決めるんじゃないよ」
と言いたくもなるのだろう。実際、公平な目で見ても、主人公夫婦の妻マーガレットにはその傾向がみてとれる(たとえば映画の冒頭で、嫁から赤子を奪い上げるようにして抱くのが象徴的なシーンだ)。
ドニーの実家の孫や嫁の扱い方は決して人道的とは言えないが、彼らの生活様式からしたら至極当たり前なのかもしれない。他人に逐一いちゃもんを付けられる筋合いはないと彼らは言うに違いない。
物語は最後、マーガレットが孫と嫁を救い出すが(ネタバレで申し訳ない)、一番大事なものを失う──。果たしてあれで良かったのだろうか?
画像引用元 FASHION PRESS