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書籍『求めない練習 絶望の哲学者ショーペンハウアーの幸福論』(カン・ヨンス)

書籍『求めない練習 絶望の哲学者ショーペンハウアーの幸福論』(カン・ヨンス)

【果たして今は幸せか?】

ショーペンハウアーの本だというから哲学書だと思って読んでいたら、いわゆる自己啓発本であることに途中で気がついた。

私は普段、自己啓発本は読まない。以前は…というか、一時期はよく読んだ。くしくも、この本の原著のタイトルが『40歳で読むショーペンハウアー』とあるように40代の頃だ。

しかし、あるとき気付いたのである。自己啓発本は、読んでいる最中は「うん、うん、そうだよね。良いこと書いてあるなあ」と逐一感心するのだが、読了すると果たして何が書いてあったのか、少しも思い出せないのである。つまり、何も残らないのだ。

哲学書が答えの出ない問い──思索の種を提示するのに対し、自己啓発本は普遍的な…と言えば聞こえが良いが、誤解を恐れずに言えばありきたりな答えが示されている。

そんなわけで本書の感想も書きようがないのだが、「幸福論」とあるから幸福について考えてみたい。

例えば、「貴方は今、幸福か?」と尋ねられれば、おそらく私は幸福なのである。本書でショーペンハウアーが「健康な物乞いの方が、病気の王様より幸せだ」と言うように、差し当たりどこも悪くない。健康体である。

また、「一の苦痛は十の快楽と同じほどの力を持つ」と言うが、サラリーマン時代と違って公私ともにストレスフリーでノープレッシャーの毎日なので、苦痛や苦悩には無縁である。

さらには、「欲望を自覚しなければ苦痛はいつまでも続くことだろう」と言うが、そもそも欲望もないのである。もちろん食欲はあるし、性欲も睡眠欲もあるが、少なくとも物欲はない(…に等しい)。ましてや出世欲や名誉欲もない。

したがって、本書で指摘する幸福を邪魔するものはほぼないのである。たしかに幸福なのかもしれない。うん、幸福なのだろう(あまり実感はないが…)。

しかし何故だろう。仮にこの幸福とされる状態がずっと続くとしても(とりわけ健康面はあり得ない話だが)、この先長く生きたいと思えないのだ。

若い頃はいろんな欲望があって、本書が指摘するように、それに伴う苦痛や苦悩もたくさん抱えていた。だが、きっといつかは輝かしい未来が待っている…という漠然とした希望があったように思う。それが今の私にはないのである(希望がないどころか、未来は身体や脳に支障が出るなど悲惨になることが必至だ)。それで本当に幸福なのだろうか? 今の私はショーペンハウアーの言う「すべてが満たされたあとの退屈」とも違うような気がする。

と、ここまで書いて思った。なるほど、これは単なる自己啓発本ではないのかもしれない。

希望はあるが苦悩に満ちた人生と、ストレスフリーだが希望のない毎日。その二つがトレードオフの関係にあるのだとしたら、あなたはどちらが幸福だと思うだろうか。

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