書籍「Y字路はなぜ生まれるのか」(重永瞬)

【Y字路はなぜ無くなったのか】
過日、常連のご利用者T氏が来たときに、何かの拍子でY字路の話になった。
「最近、Y字路に興味があるんですよ」とT氏。
「ああ、Y字路って風情があると言うか、街の中の佇まいが好いですよね」
「でも浜松にはY字路って滅多にないから…」
「えっ、結構あるんじゃないですか?」
「そうですか⁈ 例えば?」
例えば……と私が当館近くの例を出すと、T氏はどうにも腑に落ちない様子だった。どうやら、想定しているY字路の形状と言うか、そもそもの定義が私とT氏とでは異なるようなのだ。
私が想定したのは「ト」の字をした交差点を含む三叉路である。トの字型交差点は主道路に従道路が斜めに交差する。多くの場合、主道路は幅員も広く直線的である。それに比べて従道路は通常幅員が狭い等、低規格の道路である。どちらが本線か迷うことはない。
一方、T氏の言うY字路とは文字通りのY字型交差点。2つに分かれる道路の交差角度が左右均等で、各々の幅員も遜色ない、どちらが主でどちらが従なのか、本線の判別がつかないような三叉路を言っていたのだろう。よく歌謡曲に唄われるような「迷い」や「別れ」のメタファーとしての三叉路か──。
これは確かに無い。おそらく国内の市街地では皆無に近いのではないだろうか。T氏の言うように滅多にお目にかかることはないはずだ。
本書のタイトルは『Y字路はなぜ生まれるのか』だが(ちなみに、本書で扱っているのもほとんどがトの字型交差点である)、本稿では(完全な)「Y字路はなぜ無くなったのか?」について指摘してみたい。
道路行政を司る者や道路設計者がバイブルの如く崇める書籍がある。その名は『道路構造令の解説と運用』(日本道路協会)。道路法の政令に道路の一般的な技術基準を定めた「道路構造令」というのがあるが、その解説本である。これに交差点は主道路と従道路の関係を明確にするようにと規定されている。もちろん、自動車を運転する者が本線をどちらか迷うことのないようにするためである。
これに依拠した道路行政が日本中の交差点改良を進めた結果、近世まであった「追分」に代表されるような完全なY字路が姿を消したのだと思う。
さらに、主従をはっきりさせたトの字型交差点であっても、交差点内の鋭角側見通しが悪く事故率が高いため、交差角度は交差点直近で従道路を無理やり折り曲げてでも直角に限りなく近くにせよ(つまり極力T字型交差点にせよ)、というようなことも『道路構造令の…』に書かれている。これも、風情のあるY字路が無くなった理由の一つだと思う。
本書にもあるように、「近代都市計画の歴史は、いわばY字路の抹殺史」だが、だからと言って近現代の都市計画行政や道路行政を安直に批判するのは控えたいものだ。我々は、ノスタルジックな風情を無くした代わりに安全を手に入れたのだから。