書籍「男」(柳 美里)
【身体の話は性差で規定していいよね?】
最近はジェンダーレスとかと言って、「往々にして男は……」とか、「女はとかく……」などと性差で規定した物言いはご法度らしい。まあよく考えてみれば、それらの多くは男女を問わず言えることだったりするのも事実なのだ。
何年か前に「女が入ると会議が長くなる」と言った時代錯誤のセージ家がいた。女性は話があちこちに飛ぶから議論がまとまらないと言いたかったようだ。しかし男だってそういう人はたくさんいるし、事実男だけの会議も十分に長い。
「男は度胸、女は愛嬌」という諺(?)がある。私も古い人間なのでこれを至言だと思っていたのだが、これとて女だって度胸が大事な時もあるし、男だって愛嬌のある方が何かと上手くいくことが多い。性差は関係ないのである。
本書のタイトルは「男」。章ごとに男の身体の部位を題材に作者・柳美里が過ぎ去った男を回想するという趣向である。初版が20年以上前──ジェンダーレスなどという言葉がなかった頃?──の本であるし、テーマがテーマだけに必然的に「男は……」や、「女は……」という表現が頻出する。
がしかし、それらの多くはジェンダーレスに煩い現代のお歴々も納得せざるを得ないのではないか、と思う。身体の話なのだから、性差で規定されて当然なのである(sexとgenderを混同するなと言うなかれ)。
これももう何十年も前のことだが、「女は子宮でものを考える」などと実しやかに言われたことがあった。妙に説得力があるように聞こえたものだが、今だったら総スカンを食らうのだろう。
そこには言外に「男は当然、脳で考えるもんね!」と言っているからだが、そうじゃなくて面目なさげに「男はペニス(あるいは睾丸?)で考えるけどね」と言っておけば良かったのだ。そうすればジェンダーレスの現代でもそれなりに説得力を持つように思う。何故って、身体の話なのだから性差で規定して当然なのである。
いや、男女で分けずに「人間は下半身で考える」と言えば良いではないか、との指摘もあろう。だが、それだと少しニュアンスが違ってしまうと思うのは、私がやはり古い人間なのだろうか……(そもそもそんなことを言わなきゃ良いのよ、と言われればそれまでだけど)。
ところで、本書の書き出しに「男は女のからだの細部にまでこだわりさまざまな好みを示すのに、女は男の顔か身長か脚の長さぐらいにしか関心を払わない」とある。前半は男の私は大いに頷くところだが、後半については今の女性は異論があるに違いない。
バック駐車するときの男の捻れた首筋や喉仏に魅力を感じるという女性は多いと聞くし、男の前腕に浮き出る血管にトキメクという女子だっている。あるいは鎖骨が好きと呟いた女のコもいたから、そこはやはり柳美里が古いのだ、きっと。