書籍「欲望の資本主義3 偽りの個人主義を超えて」(丸山俊一+NHK「欲望の資本主義」制作班)
【AIの背後には必ず人間がいる】
昨今、AIという言葉をメディアで目にしない日はない。スマホの次はAIが資本主義経済をけん引するのだという。
過日の新聞によると、すでに我が国の中堅規模以上の企業では10パーセントの企業がAIを利用しているのだそうだ。特に高学歴者ほどAIを利用する傾向にあるのだとか。
本当だろうか──、と思ってしまう。というのは、私も去年Chat GPTが話題になったときに平日の仕事で使ってみた(顧客からの専門的とはいえ、ごく一般的な質問をそのままChat GPTに聞いてみた)が、まるでお話にならない迷解答、珍解答だったからだ。
あるいは、一級建築士の学科試験をAIに解かせたところ、合格点に満たなかったというのも何かで読んだ。かの試験には法規・構造・環境・施工・計画の各科目があるが、AIが最も得意そうな法規の得点が低かったのだそうだ。
しかしこれは何だかわかる気がする。建築基準法というのは実に難解な法律で、法の条文を読んでも何が何だかよくわからない。カッコの中に何重ものカッコがあったり、この言葉はいったいどの言葉にかかっているのか判然としないことが多かったり──。実地が伴って初めて理解できるような代物だからだ。
とはいえ、一般的な質問に対する答や法規試験の解答などはデータの蓄積が進めば、いずれ人間を凌駕するのは間違いないだろうとは思う。だが、創作の分野でもそういう日が来るのだろうか。
これもすでに音楽や絵画、小説などで生成AIが十分なレベルに達していると聞く。確かにそうかもしれないが、私は果たして人間が創作の歓びや楽しさを機械に明け渡すようになるとは思えないのだ。
たとえ、テクニカルな面ではAIに凌駕されようとも、何かを創り出そうとする人間の意志までなくなるとは到底思えないのである。
さて、この「欲望の資本主義」シリーズはどの巻も難しいのだが、この巻は全く理解できなかった。大好きなユヴァル・ノア・ハラリの言葉もテレビで視た時はそれなりに理解したつもりだったが、こうして文字で読むと今一つぴんと来なかった。
とりわけ、難しかったのはドイツの若き天才哲学者マルクス・ガブリエルの章だ。しかし、「真のAIは存在しない」との彼の主張は、AI翼賛会的風潮の現代にあっては傾聴に値するように思えた。
人間の知能は数式で表すことができないが、その知能を数式で動くAIは凌駕できない、というのである。そして、「人々を支配するのは機械の背後にいる誰かだ」と。たしかに!