書籍「本屋になりたい」(宇田智子 高野文子 絵)
【本を売りたいのか、本と一緒に居たいのか】
子供の頃、本屋さんはワンダーランドだった。そこはいつも驚きと感動に満ちていて、行くまでの道すがらワクワクが止まらなかった。そして、入り口のドアを開けると、あの新しい本の匂い──。
私と同じような感慨を持つ人が多いのか、「本屋になりたい!」と思う人は結構いるようだ。当館のユーザーからもそういう声はよく聞くし、ネットを見渡せば新規開業したという話も散見する。
しかし、日本全体としては本屋の減少が止まらない。今や全国で毎日1店舗以上のペースで閉店しているのだそうだ。その結果、直近20年で約8000店が無くなり、本屋が1店もない自治体は3割近くもあるらしい。
何故か? 単純に商売として成立しないからだ。通常、本1冊の売上に対し、書店の取り分は20%と言われる。書店はそこから、店員の人件費、光熱費、テナント賃料等の固定費やその他諸経費を支払わなければならない。
本屋さんになりたい人は一度、その店を維持していくために1日当たりに何冊本を売らなければならないのか、試しに計算してみると良い。人件費やテナント賃料、営業日数、書籍の平均単価などを仮定すれば、前述した書籍売上の書店分配率をもとにざっとした試算が可能だろう。とんでもない冊数になることが分かるはずだ。少なくとも新刊書店が商売として成立しにくいという現実は知っておくべきだと思う。
では、この本の著者のように古本屋ならどうか。たしかに古本であれば価格の設定が自由だ。だがだからと言って、新刊書店に比べ利幅が格段に大きくなるとは思えない。事業構造は大して変わらないはずだ。
著者の古本屋が成り立っているのは、①那覇市国際通りにほど近い──国内有数の観光客需要が見込める──という好立地にあること、②店舗面積が僅か1.5坪でテナント賃料が格安であること、③沖縄に関連した本の販売に特化していること等が考えられる。中でも①の効果が大きいはずだ。
とはいえ、1.5坪では1日に売れる本の数も限られるだろうから、一番の要因は著者ひとりで運営することで人件費にかなり弾力性を持たせていることにあるのではないか。
要するに、「本があって、人がいる場所」(本書p20)を作れるのなら、サラリーマンのように一定の収入が得られなくても構わないと思う人でなければ、成立しないということだ。逆に言えば、そういう人であれば本屋を運営することは可能だということになる。そして、そういう人は高齢者や主婦層を中心に一定数いるだろうと予想される。
このことは自治体が今後、地域のインフラとして本屋を残すのを考えるうえで、ヒントとなるに違いない。たとえば、イニシャルコストに公金を支出して、その後の運営はやりたい人に任せる──公設民営の書店は一つのやり方だと思う。
もっともかくいう私は、「本があって、人がいる場所」は本屋でなくても良いと思い、私設図書館という形を選択したのである。商売として成立しないのはいずれ同じなのだから。