News 2024.11.15
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書籍「明治神宮」(今泉宣子)~その3~

書籍「明治神宮」(今泉宣子)~その3~

【アシタカは「共に生きよう」と言っている】

その2からの続き)

「当たり前だ! これまで百年かけて造った神宮の杜は人工林と言えども都民の、いやすべての日本国民が平等にその恩恵を享受するコモンズ(社会の富)ともいうべきものだぞ」

とお叱りを受けそうだ。

私とて「僕の思い出を壊すな」の思いとは別に、東京都心にあるこれだけの緑を一部とはいえ伐採することに何の抵抗もないわけではない。

理屈としては、次のことが言えるだろう。

現況のままとして現在の人々が未来永劫享受するアーバニティーの総和Σ(現況の人工的快適性+現況の緑の効用)>再開発後の将来の人々を含めて未来永劫享受するアーバニティーの総和 Σ(再開発後の人工的快適性+再開発後の緑の効用)

この式の不等号の向きがこのままであれば、反対派の意見は正しい(でも、こんな式はどうやって定量化して検証すれば良いんだ?)。

映画「もののけ姫」はこの問題の難しさを良く表している。以前書いたように私はできればタタラ場を経済成長させるエボシの側に立ちたいが、エボシがまったくの善でもない。だから、再開発大いに結構。原案通りどんどん進めろ、と言いたいわけではないのだ。

だが一方で、サンのように生きていても繁栄はしないし、弱者を救済することも出来ない。いや、まだ反対を唱える人たちが完全にサンの側に寄って立つのなら(未開人の生活に戻るのなら)、分からないでもない。普段エボシの恩恵を十分に受けていながら(つまり都市の快適性を享受しておきながら)、時流に乗っかって安直に歌など出すのが鼻につく。そんな単純な話ではなかろうと思う。

アシタカはこう言った。「共に生きよう」と。

そのためには強行開発もないだろうし、全面凍結もない。互いに折り合いをつけるしかないと思うのだが、いかがだろうか。

(以上で、この稿終わり)

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