書籍「悪意」(東野圭吾)
【田中某――僕は君を忘れない】
世の中には悪意を持った人間がいるのだな、と僕が初めて意識したのは高校一年生のときだった。もちろん、それまでにだって、悪気があって僕に接した奴もいたかもしれないけど、そんなのは所詮子供の戯れだと思えた。
彼の名は田中某(半世紀経った今でも憶えている。下の名前は伏せておこう)。その春に高校受験に失敗した僕は当時、近所の学習塾に通わされていた。僕の将来を心配した母が無理やり入れたのだった。田中某とはそこで初めて出会った。彼は僕とは違う中学校出身で、その中学校で同級生だったというX(この男の名前はとっくに忘れた)と一緒に入ってきた。
田中某は僕が不合格となったA高の一つ下のランクのB高生だった。一方、Xは僕と同様にA高を受験し、僕と同様に不合格となって、僕と同様に不本意ながらC高に通っていた。
入塾当初からなぜか田中某はXを小突くようにして(実際に小突いていたわけではないが)馬鹿にしていた。僕はそれを見ていて、不思議な奴だなと思った。それはそうだろう。つい何ヶ月か前の中学生時代は、Xは田中某より成績が良かったはずだ。それがたまたまA高受験に失敗したからと言って何故Xを劣後しているかのごとく扱うのか――。
しかしその後、田中某は何を思ったか、僕まで馬鹿扱いし出したのだった。最初はごくたまにだったが、次第にそれは日常化していった。これを書くに当たり、あの頃彼が僕を具体的にどう馬鹿にしたのか、思い出そうとしたがまったく叶わなかった。おそらく僕はその後の大人になる過程で、それらの記憶を封印したのだろう。
とにかく、その塾で田中某と顔を合わせるたびに、お前は人生の落後者なのだと決め付けられた印象がある。そしてその一つひとつは大した言葉ではなくても、こつこつとジャブを当たられるように僕の心はダメージを深めていった。もちろん、何度腕力で彼を黙らせようと考えたか分からない。しかし、それでは知性で劣ることを認めたことになりそうで、それもできなかった。
いじめ――? あの頃も今も、僕がいじめられていたという認識はない。だが、あらためて考えるとあれも一種のいじめだったのかもしれない。
田中某はなぜ僕やXを貶めたかったのだろう? 中学時代、自分よりXが優れているとされていたことが妬ましかったのだろうか。そのXが高校受験に失敗したのをよいことに、一気に形勢逆転を図りたかったのか。そして、同様な境遇にある僕も一緒に貶めることで、それを固定化したかったのかもしれない。
しかし、本作にもあるが、悪意の根源など本人さえわからないのだ。悪意のある者は「とにかく気に食わないから、気に食わない」のだ。
程なくして僕はその塾をやめた。田中某とは以来一度も会っていない。がしかし、あれほどの悪意を持った人間がその後どういう人生を歩んだのか、今となっては逆に興味がある。
本作では、中学時代に自分をいじめていた男のその後を調べる、というくだりがあるが、僕はそこまでやるつもりはない。悪意を持った人間は、田中某以外にも僕のその後の人生にたびたび登場してきたからだ。つまり、彼などone of themに過ぎないというわけさ。