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書籍「クリエイティブ都市論」(リチャード・フロリダ)

書籍「クリエイティブ都市論」(リチャード・フロリダ)

【人はなぜ都市を目指すのか?】

ターネットを始めとするテクノロジーの発達によって、世界はフラットになったという言説がある。南海の孤島にいようが、ヒマラヤの山頂にいようがネット環境さえ整っていればグローバル経済に参加できるからだと言う(実際には孤島や最高峰の頂はネット環境にないだろうけど)。

だが本書によると、全世界の人口に占める都市人口の割合は1800年には3%に過ぎなかったが、21世紀初頭には50%を超えたそうだ。コロナ禍で一旦沈静化しただろうが、アジアやアフリカの成長余地を考えれば、今後この数値は爆上がりするに違いない。

さらに著者は、都市にあっても優勝劣敗が顕著で、繫栄する都市はより栄え、衰退する都市はより廃れる傾向にあることを指摘し、世界は決してフラット化しているのではなく、スパイキーになっている(とんがっている、すなわち凹凸が激しい)とする。

そもそも人は何故、都市を目指すのだろうか。ひとつには、そこに富が集中しているという事実がある。全世界の経済活動に占める都市のそれは8割を超えているはずだ。都市に行けばその恩恵に浴し、豊かになれる可能性が高い。

しかし私はより根源的な理由として、本書の副題「創造性は居心地の良い場所を求める」にもあるように、都市という場所が快適だからだと思う。本書ではその快適性、居心地の良さをいろんな角度から分析しているが、私はもっと単純だと思っている。

都市には道路や上下水道を始めとしたインフラストラクチャーが整い、商業施設やその他利便施設、教育・文化施設等が集積している。それらは大都市になればなるほど、高規格かつ高度なものになる。都市に富が集中するのも、これらによる快適性があってこそのはずだ。

私は40年来、都市開発に従事してきているが結局、やっていることは都市的土地利用に改変することで、その快適性を人々に提供することだと思っている。

だが残念なことに、都市開発は「=自然破壊」と捉え、それに携わる者はまるで阿漕(あこぎ)なことをしてカネを儲けていると考える人が実に多い。もちろん、都市開発の功罪のうち罪の部分として、自然破壊は否定できない。

たとえば、私が働き始めた頃の都市開発ギョーカイには、「自然を守れだと? しゃらくせえ!」と言い放つ先達が確かにいた。しかしイマドキのギョーカイ人は、そんなことを口にするのはもちろん、心の中で思う人さえほとんどいないのではないか──。皆、少しでも自然を守れるようにと色々腐心し、様々な策を講じている。

その一方で、都市開発を批判的に捉える人はこの40年来、1ミリも変わっていないように見える。未だに「都市開発=自然破壊=罪悪」という文脈でステレオタイプ的に批判する。

そんな人たちは今一度、自らが当たり前のように享受している都市の快適性(都市開発の功罪の功の部分)について、それが何の犠牲のもとに成立しているのか考えてみて欲しい。

私自身は「都市的快適性の提供」の対価として報酬を得ることに何ら臆するところはない。そして、アジアやアフリカの貧しい人たちに代表されるような、都市に遅れて来た人やこれから来る人にだってその快適性を享受し、豊かになれる権利はあるはずだと思っている。

 

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