書籍「キライなことば勢揃い」(高島俊男)
【嫌いな言葉ならありますとも!】
世の中に「〇〇の名言集」的な為になる言葉や気の利いた言葉を紹介する本は数多あれど、本書のように嫌いな言葉を並べる本は珍しいのではないでしょうか。しかし、私自身もどちらかと言うと好きな言葉よりは、嫌いな言葉や嫌いな言い回しの方が多いような気がします。
たとえば、よくサッカーや野球の日本代表の試合を観た人が、街頭インタビューなどで「勇気をもらいました!」と言うのを聞きますが、あの言葉が嫌いです。スポーツ観戦は私も好きだから、もちろん好い試合を観れば感動したり、まれに鳥肌が立ったりすることはあります。が、勇気をもらったと感じたことはただの一度もないのです。そもそもあれって何に対する勇気なのでしょう?
あと、芸能人などの葬式で、参列したギョーカイ人がよく「悲しいし、悔しい」と言うのを聞くのですが、あれも嫌いです。悲しいのは分かりますが、悔しいって何だ? Dr.コトーのような立場の人が自分の非力を嘆いて「悔しい」というのなら分かりますが……、あんた只の故人の知り合いでしょ? 私は妻を亡くしたときでさえ、悔しいという感情はまったく湧きませんでした。ただひたすら悲しかっただけです。
それから、まちづくりの現場などでよく聞く「街を元気にしたい!」というあれ。まったくぴんと来ません。街を元気にするとは一体どういうことなのか? ああいう抽象的なことを言っているうちは、まちづくりは1ミリも進まないのではないかと思うのです。そこに必要なのは、ひたすら具体策のはず……。
他人様のことばかり言わずに、自分の恥も晒すと、開館当初の当館のホームページでキャッチコピー的に載っていた「もっと気軽に本を楽しんで欲しい」という言葉。開館前後の忙しさにかまけて製作を人任せにしていたために、こんな言葉が載っているなんて! そう気づいたのは、だいぶ後になってからのことでした。まったく意味不明です。
よくBRUTUSとかPenとかの雑誌で、「もっと気軽に〇〇を楽しんで欲しい」というフレーズを見かけますが、よりによって「もっと気楽に本を楽しむ」って、どういうことだ? 仕事で読む専門書や学術書ならともかく、プライベートな時間に読む本を気軽に楽しんでいない人が居るとでも? 空疎と言えば、これほど空疎な言葉はありません。私はこの言葉を消し去りたいがために、HPを全面リニューアルしたほどです。
要するに、私は中身のない──多くは聞き心地だけがよい言葉が大嫌いなのです。そうした言葉を聞くと、なんだか下水を飲まされたような気持ちの悪さを感じてしまう。
でも、この本を読むと、どうでも良いことを偏屈なオヤジがああでもない、こうでもないとあげつらっているようにしか思えません。きっと私も今、同じように見られているんでしょうねえ。