映画『本心』(主演 池松壮亮)
【AIは人間の本心を再現できるか?】
映画は、自殺したとみられる母親をVF(ヴァーチャル・フィギュア)という技術を使い、VR内に蘇らせてなぜ彼女が「大事な話がある」と言いおいたまま死を選んだのかを聞き出そうとする主人公・朔也の苦闘を描く。
死者をAIによって蘇らせるという話は、米ドラマ『スカーペッタ』でもあって、あれを観たときに調べたら既にその手のサービスが実際にあるようだった。大切な人を亡くした者にとっては心動かされるサービスである。私も死んだ妻に会えるのならと一瞬、食指が動きそうになった。
だが、やめておいた方が良いだろう。ひとつは『スカーペッタ』で得た教訓の通り、死者が本当に蘇るわけではないからだ。かえっていつまでも死者に捉われることになる。もうひとつは本作でもあったように、死んだ者の知られざる姿や過去をほじくり出すことにもなるからだ。
私は妻が死んだあと、それが嫌で彼女の遺品整理すらしなかった。長患いをしていたのでひょっとしたら、どこかに遺書みたいな物があるかもしれないとも思ったが、積極的に探すことはしなかった。理由は上手く言えない。ただ何となく怖かったのである。
何が? 何が怖かったのか? 死を前にしてそれを綴る妻の心情を知ることが怖かった…? いや、遺書の内容も含めて、遺品を整理する中で私の知らない妻を見つけてしまうことが怖かったのか──。やはり上手く言えない。
いずれにしても、彼女の遺品はその後の数十年の中で少しずつ自然と無くなっていった。そして、最後は私が浜松に居を移すタイミングで、中身をいちいち確認せずにすべて廃棄処分とした。それで良かったかどうかは、未だに分からない。
映画のテーマはもう少し複雑で、「自由死」(映画『PLAN75』であったような仕組み)が制度化された社会で、死を選ぶ人の本心とはとか、AIに人間の本心が理解できるのか、あるいはいくらデータを取り込んだところで人間の本心を再現できるのかなどを描いている。
だが、これだけは言えるだろう。本心なんて、その人自身ですら分からないのだ──。ましてや死んでしまった人間の本心を探ることにどれほどの意味があるというのか。
画像引用元 映画『本心」公式サイト CINEMA FACTORY


