News 2025.08.26
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映画『からかい上手の高木さん』(主演 永野芽衣)

映画『からかい上手の高木さん』(主演 永野芽衣)

【二人の10年は何処に行った】

率直に言ってもう少し何とかならなかったのだろうかと思う。ネット上を見渡すと、「キュンキュンした」と本作を絶賛している人も多いので、そうした人たちには申し訳ない。だがやはり、この西方と高木さんの関係性は中学生だからこそ成立したのだと、あらためて確認した次第だ。言葉を変えて言えば、10年後の二人を描くのであれば、もう少し違った描き方があったように思うのである。

特に不満に思うのは、20代半ばになった西方の性格や挙動が中学生の頃の西方とまったく変わっていないなんて、いくら何でも無理がある。高木さんにしても同様で、そこには10年という時を経た様子がまったく伺えない。二人とも時が止まっていたかのようだ。

加えて(し話がずれるが)、同い年の二人が教育実習生とその指導教員という設定も不自然だし、さらには高木さんが教育実習生という立場でありながら、全然初々しさが感じられないのも気になった……が、これは演じた永野芽衣の最近のゴシップが少なからず影響しているかもしれない。

話を戻す。要するに私は10年という「時間の経過」をもう少し丁寧に描くべきだったと思うのである。10代後半から20代前半という多感な時期の10年間である。西方もその間に島を出て都会暮らしを経験したようだ。そこでは、いろんな楽しいこともあっただろうが一方で、辛く悲しい出来事もあっただろう。それらの出来事は、いつまでも中学生の西方のままで居させてくれなかったに違いない。

高木さんにいたっては尚更だ。文化の異なる異国の地で様々な経験をしただろう。そして、それらはあの中学生の頃の天真爛漫な高木さんをも確実に変えたはずだ。

そうした時の経過を踏まえて例えば、こんなストーリーはどうだろう。大人になってすっかり変わってしまった二人──西方が少し嫌な奴になっているという設定だって良い──が同じ教育実習生として島で再会する。互いの変わりようにぎくしゃくとした関係が続くが、時折垣間見せる当時の面影や、10年経っても変わらない島の中学生と接するうちにあの頃の自分たち二人──忘れていた本当の自分──を思い出す。そして、クライマックスのプロポーズのシーンで中学生の西方そのままを全開する──。

まあ、あの世界観が好きでキュンキュンしたいだけの乙女たちにとっては「時の経過」などというリアリティはどうでも良いのだよね、きっと。

画像引用元 ニッポン放送 NEWS ONLINE

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