映画「湯道」(主演 生田斗真 濱田岳)

【湯に浸かる歓び】
よく言われるように日本人は何でも「道」にしてしまう。柔道、剣道、空手道に合気道、弓道などの武道系、茶道に書道、華道等の芸道系あたりが一般的であるが、武士道、禅道、相撲道や釣道、酒道に商道などというのもある。最近はあまり使われなくなったが、かつては野球道なんて言葉もあった。
なぜ、「道」なのか。武道ではなく、武術で良いではないか。茶道や書道ではなく、茶芸、書芸と言ってはダメなのか──。
ダメなのであろう。これら「道」のつくものに共通するのは、単なる武術やスポーツ、あるいは芸事の技術習得にとどめるのではなく、そこに精神修養や礼儀作法、ひいては人生観の鍛錬までをも目的とするということである。その道を進むことで、人間形成を図る──というわけだから、逆に言えばおよそ人の活動の何にでも「道」を付けることができる。
さて、この映画「湯道」。つぶれかかった街の風呂屋を先代の息子兄弟が再建するという話である。弟・悟朗は死んだ父の後を継いで銭湯「まるきん温泉」を切り盛りしているが、経営は思わしくない。
そこに東京で建築家として名を馳せている兄・史朗が帰郷し、廃業して跡地にマンションを建てる計画を提案する。もちろん悟朗は反対するが、ボヤを出してそのときの怪我で入院中に受け入れる決心をする。一方、悟朗のいない間、銭湯の仕事をするうちに史郎──実は建築家としても行き詰っている──は自分の提案に疑問を持ち始める。
そうした中、二人で訪れた旅先の五右衛門風呂で湯に浸かる歓びを再確認し、「まるきん温泉」再建を決意するのだった──。
とまあ、ありがちな話ではある。また途中、入浴の作法を極めたという湯道の大家も出てくるが、そこに大した意味はない。その大家が昔、最高の歓びを得たというのが二人の訪れた五右衛門風呂だったというだけである。
小難しい理屈も面倒な作法も要らない。もちろん、そこに人生訓など……。湯に浸かる歓びを素直に味わえば、それで良いのである。
ならば、私も「私設図書館道」などというものを提唱してみようかな。…けど、ネーミングがイマイチだからダメだな、こりゃ。
画像引用元 ファッションプレス