映画「殺人の追憶」(監督 ポン・ジュノ)

【私の殺人の記憶】
突然ヘンなことを告白するようだけれども、私には一時期、殺人の記憶があった。もちろん、人を殺したことなどないと断言できる。誓っても良い。しかし、ある場所を通るとき、その記憶──というか感触というか──がかなりの頻度で蘇るのだった。しかもそこでだけ……。
そのある場所とは、東京・高田馬場駅の橋上乗り換え通路のJR側階段寄り辺りだった。私は当時、西武新宿線沿線に住んでいたので、通勤するのに高田馬場駅でJR山手線に乗り換えていたのだ。
その記憶を言葉にするのは難しい。そもそも何故それが殺人の記憶だと思ったのかも今となっては分からない。明確に私が人を殺しているところを思い出すわけではないのだ。だから、どうやって殺したのかも分からないのだが、ただなんとなくその感触みたいなものが脳裏に蘇るだけだった。
にもかかわらず当時の私は、これは殺人の記憶に違いないと確信していた。その感触が薄っすらとではなく、妙なリアリティが伴っていたからだと思う。人を殺した覚えもないのに、リアリティを語るのもヘンな話ではあるのだけれど……。当然、私は混乱した。この記憶と言うか感触はいったい何なのだろう、と。
ひょっとしたら、自分自身では記憶にないが、本当は人を殺してしまったことがあるのではないか。自分にとって都合の悪い記憶を無意識のうちに封印して、無かったことにするというのは何かの映画で観たことがある。いや、例えそんなことがあったとしても、私が捕まらずにいるのはおかしい。日本の警察は優秀のはずだ。
散々色んなことを考えたあげく私は、これは前世の記憶に違いないと結論付けた。この日本だって、ほんの数百年前までは切った張ったの世界だったのだ。ましてや原始時代となれば──そう考えると、殺人の記憶があっても不思議ではないように思えた。
それが何故高田馬場のあの場所なのかは謎であったが、そのうちにそこを通ってもその記憶が蘇ることはすっかりなくなった。東京を離れた今ではどんな感触だったのかすら憶えていないが、またあそこを行ったら何か思い出すかもしれない。
この映画では最後、主人公の元刑事が一連の事件が最初に起きた場所を訪れ、死体のあった農道脇の側溝をのぞき込むシーンがある。するとそこを通った少女が、この間も同じことをしていた男がいたと言う。
貴方は殺人の記憶、ありますか?
画像引用元 シネマライブラリ