映画「シェーン」(主演 アラン・ラッド)
【シェーンの意味不明な言葉で引き際を考える】
一昨日、今週のオススメBOOKSとして書籍「男の引き際」について書いた。その際、この映画について触れ、主人公シェーンの引き際が理想だと述べたところである。
映画のストーリーは紆余曲折あるが要するに、開拓農民のスターレット一家に世話になった流れ者シェーンが、農民たちと対立し嫌がらせを繰り返す牧畜業者ライカー一家を早撃ちで一網打尽にし、このままここにいて欲しいと願うスターレット家の少年を尻目に、「人を殺したら元には戻れない」と意味不明なことだけ言って去っていく──というものだ。
一昨日は、引き際を動物の死に学べとも言った。しかしよく考えてみると、引き際が難しいのはその退き方(華々しく辞めるとか、人知れず去るとか)ではなく、まさに引き際──タイミングの判断である。
シェーンは何をもってその判断をしたのか。彼が最後に発した言葉で考えてみたい。「人を殺したら元には戻れない」の真意は、人を無慈悲に殺すような人間がここにいてはいけない、ということではないか。つまり、銃で物事を解決する者がいると、ここの秩序が乱れると言いたかったのだろう。
彼は自分がいると災いの元だと考えたのだ。彼のような(信念に基づく明確な)理由があれば、惜しまれながらもその判断をしやすい。
だが通常は、理由を見つけられずに(あるいは見つけようともせずに)、請われるままに(あるいは請われてもいないのに)長居をして、あげく周りにウザがられるのである。
では、どうしたら、自分の引き際のタイミングを見つけられるのか──。それが分かれば、世に老害が蔓延ることもない。おそらくは、私心を捨てて大局を観られるか、だろうが言うは易しで永遠のテーマである。
私? 私の場合は「ベンチがアホやから、野球がでけへん」と言って辞めたのである。大局観、関係ない。ちょうど良いタイミングで、ベンチがアホで良かったわ。
画像引用元 Cinemarche