映画「コスタリカの奇跡 積極的平和国家のつくり方」(監督 マシュー・エディー、マイケル・ドレリング)
【議論が圧倒的に足りていない】
過日の新聞に、2023年度の日本の防衛費が前年度比26%増になると報じられていた。報道の趣旨は、日米欧で2桁増となることで戦後の安保体制が転換期にあるということを言いたいようだったが、私はそこよりも日本だけが20%超となっていることが気になった。他国は多くが10%増前後で、日本に次ぐドイツは17%増である。日本だけが突出して高いのだ。
ロシアのウクライナ侵攻のように、中国などが日本を侵略しないとも限らない。防衛費の増額はその場合に備えるため、あるいはそれを未然に抑止するために必要不可欠だと言う。
浅学な私などは本当だろうか――と思ってしまう。というのは、ウクライナのように大穀倉地帯をもつわけでもなく、石油やレアアースなどの資源もない、おまけに人口減少・少子高齢化で、GDPの2.5倍も借金のある日本のような斜陽国家を、リスクを冒して取りに来る国などあるのだろうかと思うのだ。
いや、彼らが日本の国土を脅かす可能性は二つあって、ひとつは台湾侵攻に乗じて尖閣諸島まで手に入れようとする場合、もう一つは対米戦争を行う際に有利に進めるようとする場合だと言う。一つひとつ考えよう。前者があった場合、尖閣のような無人島を守るために中国と戦火を交えるべきだと考える国民が果たしてどれだけいるのだろうか。それこそ、この映画にあったように国際法に訴えて、平和裏に解決すべきではないのか。
後者の場合はより切実だが、そんなケースが起こったとすれば、そのときはもう第三次世界大戦、いや世界最終戦争ではないのか。そんな中で(圧倒的な軍事力を持つアメリカと中国の狭間で)日本の防衛費をGDPの1%から2%に増やしたところで何の意味があるのだろう。
そもそも、そうしたアメリカと中国の戦争に何故、巻き込まれなければいけないのか。このコスタリカやアイスランドのように、非武装中立という選択肢は本当に非現実的なのだろうか。あるいは、国土を侵略されたら国民は武器を持って戦うことにアグリーなのか――。まずは、それらをはっきりさせるべきだ。
一部の識者からは、「そんなことは当たり前すぎて、議論するまでもない。笑止!」と一蹴されるかもしれない。しかし、そのような議論が圧倒的に不足している。国民の多くは私と同じレベルのはずで、どうするのが正解かわからないまま冒頭の報道に見られるように、侵略されるかもしれないという空気に過敏に反応しているように思えてならない。中国の脅威に直面している台湾ですら、前年比14%増なのだ。
思うに、最初からGDPの2%という数字ありきだから、違和感がある。これこれこういう事態に備えるために、必要なコストを積み上げた結果がGDPの2%だったというならわかる。その想定した事態が適切かを問えばよい。あるいは2%とすることで、どういう事態にまで備えることができるのか、できないのかを明確にすべきだ。それらの妥当性を国民に検証する機会を与えて欲しいのだ。
そのうえで、国民がしっかり議論して総意として防衛費を2倍にするということであれば、それは仕方ないと思う。総意ならば当然、税金で賄うべきだ。
いずれにしても、日本の歴史に再び「チェーホフの銃」を登場させるか否かを、我々は将来世代に責任を持つべきなのだ。太平洋戦争のときのように、あとから「一部の軍人(あるいはセージ家)が……」などと責任逃れをしては決してならない。ましてや一時的な空気に煽動されることなどあってはならないのである。
画像引用元 Peatix