News 2024.05.04
1週間後に迫った読書BARの残席僅か!
佐鳴湖近くの小さな図書館
BLOG

映画「ケイコ 目を澄ませて」(監督 三宅唱)

映画「ケイコ 目を澄ませて」(監督 三宅唱)

【彼女には人としての器がある】

とある女子プロボクサー(彼女は耳に障害を持つ)の一時期を切り取ったドキュメンタリーのような映画である。ストーリーに起承転結はない──ようにみえる。

だからたとえば、悩み続けたケイコが最後に勝って終わるなんてことはない。あるいは、彼女が途中「一度、休みたい」と思うようになったのは何故か──、それが語られることもない。母親の「いつまで続けるつもりなの? もう十分じゃないの?」という言葉だろうか。それだけじゃないような気がする。

確かに、耳が聞こえないというのはボクサーとして致命的、いや危険ですらある。ゴングの音も聞こえなければ、レフェリングの声やセコンドの指示もわからないのだから。

しかし、そうした近しい者の心配に自分が同調・同期してしまえば(そしてそれは常に陥りやすい自己憐憫である)、戦う気力はなくなる。戦う気力がないままリングに上がれば、会長が言うように相手にも失礼だし、ケイコにとってより危険である。相手を殺してでも勝ちたいとする気持ちがあって初めて成り立つ競技なのだ。

あるいは、同じ障害を持つ彼女の友達らのように、ボクシングなどしなくても、楽しく生きていける──フツーの女子みたいに──という誘惑もあっただろうか。だがもしその誘いに乗れば、それはボクシングだけのことではなくなるのだろう。

試合にも負け、ジムも閉鎖され、ここでやめる理由なら揃った。だが、彼女は顔を上げ再び走り出すのだった。

なるほど、十分すぎるほどの起承転結がついている。

画像引用元 FASHION PRESS

PAGE TOP