News 2026.07.09
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新書『自分探しが止まらない』(速水健朗)

新書『自分探しが止まらない』(速水健朗)

【やりたいこととやりがいのあること】

何かが欲しいオイラ/それが何だか分からない

吉田拓郎が名曲「人間なんて」で、そう唄ったのは1970年代だった。私の好きだった女のコが突然ワーキングホリデーでニュージーランドに行ってしまったのが90年代。そして前職で目をかけて育てていた若手社員が「なんかやりたいことと違う」と言って辞めていったのは2010年代中頃だった。

「自分探し」という行動形態は、本書にもある通り50年以上前から見受けられるし、今日においてもしばしば見かける。きっとこの先も続くのだろう。

自分のやりたいことが見つからない、分からない──自分探しの根底にはそれがあるようだ。その裏返しとしては「夢」至上主義があると思う。成功者がよく口にする「夢を持ち続けることが大事!」というあれだ。

だが私もそうだったが、フツー夢などないのである。もちろん早くから自分の夢が明確な人もいるだろうが、大多数の人は夢などない、あるいは未だ分らない、というのが本音ではないだろうか。

だから自分を探す、すなわち自己を見つめ直して、それを見つける──、多くの場合、旅に出るなどして環境を変えることで、それを成そうとするのが自分探しだ。

だが、それで彼らは自分のやりたいことは見つかったのだろうか。よしんば見つかったとして、それはやりがいのあることなのだろうか。「やりたいこと」と「やりがいのあること」は往々にして違う。もちろん、一致すればハッピーだが、ごく稀だ。

なぜなら、やりたいこととは言うまでもなく自分のウォンツだ。あくまでも自分から見た風景である。一方、やりがいのあることとは、他人に喜んでもらえることではないだろうか。つまり、他人のニーズ、社会のニーズと言っても良いだろう。ベクトルの方向がまったく違う。

社会のニーズは、いくら自分を探しても見つからない。そして、社会のニーズは旅になど出なくても、その気になれば居ながらにして分かるのである。

与えられた環境において、あるいは任された仕事を遂行するなかで、どういうことをすれば他人は喜んでくれるのか、どこに社会のニーズがあるのかを見出すことが可能だからだ。

私が今も続けている都市開発の仕事は、まさにその連続だった。特に望んで就いた仕事ではなかった。また、若い頃は小さな歯車に過ぎなかった。だが、そうであっても他の歯車とカチッと嚙み合うたびに喜びはあったし、大きな歯車になるにつれ、社会のニーズに応えているという実感を持てた。

この私設図書館にしても決して夢だったわけではなく(ましてや自分を探して見つけたわけでもなく)、老後の居場所を確保するために始めたに過ぎない。だが、やっていく中で利用者のニーズを拾いあげ、日々やりがいを見つけている。そして、それが何よりも楽しいのである。

だから、あの時の彼女に言いたい。自分など探しにどこかに行く必要はなかったのだ。夢など持っていなくても自分を卑下する必要はないし、やりがいは目の前にあるのだから。

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