新書『天災から日本史を読みなおす』(磯田道史)

【大地震は時代の空気を変える】
東日本大震災のとき、私は未だ東京にいて、勤めていた会社の自席で体験したのだった。あの日──2011年3月11日に最初の揺れがあったのは、ご存知のとおり午後2時45分過ぎである。私は夕方にセッティングされていた顧客打合せで提示する資料の最終確認をしていた。
その揺れは、それまでの五十有余の人生で遭遇した地震とは全く違うものだった。東京というのは(私の個人的な感想になるが)、しょっちゅう揺れるところで、震度2~4程度の地震がわりと頻繁にある。だが、それらとは全く違う──そう、まさに別格とも言える強い揺れだった。身の危険を感じた私は、思わずデスクの下に身を隠した。そんな防災訓練ではお馴染みの行動を実際に取ったのは、あのときが初めてだった。私がビビりだったのではない。執務室にいた誰もがそうした。
それでも、やがて揺れは収まり、皆口々に「凄い地震だったねえ」などと言いながら、少しずつ落ち着きを取り戻し各自仕事に戻った。だが(これも周知のとおり)、その30分後、再び強い揺れに襲われた。私の感覚ではそのときの方が恐かった。落ち着きを取り戻しつつあったとはいえ、未だ最初の揺れの余韻が残る中で、突然「ガガガガガ……」と地を這うような(最初のときはなかった)地響きが徐々に大きく伝わってきたのである。その時点ではまだ大きな揺れはなかったが、誰もが思ったに違いない。
「来る、また!」
そしてそれは本当に来た。一回目に勝るとも劣らない程の強い揺れで。私が居たのが老朽化したビルだったこともあり、あのとき「ああ、俺はここで死ぬんだな」と一瞬頭をよぎった。
幸い大事には至らなかったが、あんなに大きな揺れでも東京の震度は5強だったようだ。最大震度7を記録した東北地方の揺れは如何ばかりだっただろうか。そして、直後に起こった津波や原発事故──。
本書では、地震を始めとする天災が我が国の歴史に大きな影響を与えていることを詳らかにする。なかでも印象的だったのは、豊臣秀吉が徳川家康討伐を大地震によって断念したというくだりである。
その大地震──天正地震(1586年)がなければ(予定通り家康追討が実施されれば)、当時の兵力等から家康の敗戦は必至で、その後の徳川の天下はなかっただろうと著者は言うのである。
教科書では教えてくれない歴史である。だが、さもありなんと思う。我々現代人が東日本大震災で時代の空気が一変したと感じたように(私の仕事でもテーマが一気に防災へとシフトした)、秀吉も戦争などやっている場合ではないと思ったに違いない。
さて、その後に私が転居した浜松は、近く起こると言われる南海トラフ地震の被災が甚大と言われるところだが、東京と違って普段は滅多に揺れない。それが逆に怖い。あの不穏な「ガガガガガ……」の恐怖は二度と御免である。
って、ちょうど書いていたら、久しぶりに浜松でも地震があって、ヒエーってなった(でも震度2だそうな)。こんな偶然ある⁈